京都にはたくさん縦横の道があります。
「丸 竹 夷 二 押 御池 (まる たけ えべす に おし おいけ)、 姉 三 六角 蛸 錦 (あね さん ろっかく たこ にしき)、 四 綾 仏 高 松 万 五条 (し あや ぶっ たか まつ まん ごじょう)、 雪駄 ちゃらちゃら 魚の棚 (せきだ ちゃらちゃら うおのたな)、 六条 三哲 とおりすぎ(ろくじょう さんてつ とおりすぎ)、 七条 こえれば 八 九条 (ひっちょう こえれば はつ くじょう)、 十条 東寺で とどめさす(じゅうじょう とうじで とどめさす)」は有名な通り名の唄です。これらの通りは東西に走るものです。
南北の道についてもあるようなんですが、よそ者の私はそこまで知りません。
自転車で行き来するときに少しいつもと違った道順を選ぶことがあります。
この日は丸太町通りよりさらに北に上がった上長者町通りを走りました。

昭和8年のお生まれだそうです。
「もうやめてもいいころやと思ってこの一年くらいで終わりにしようかと・・・・。」と考えておられるのだそうです。

しかし、です。
もし、この方がこの仕事をやめてしまったら、もうj京都には一人もこの仕事をする人はいなくなってしまうのです。
勿論「忙しくて休む間もない。」ほどの仕事が集まっているのですから、誰かが「じゃあ、私が跡を継ごう。」と思えば、仕事は安泰でしょう。・・・・たぶん。

以前は何十軒もこの仕事をする家があったのだそうですが、やはり西陣の衰退とともに減ってきたわけです。
そういう話を聞いては、撮らずにはいられません。

「わしの写真はニューヨークにもある。」
というのもつい最近もアメリカ人が写真を撮っていったから・・・・というのです。
私が、どこまでなら入っていいですか、とお訊ねすると「まあどこでもいいよ。そこら辺までなら大丈夫だろう。」と私の足元を気遣ってくれました。

「何時からされているんですか?」
「明治やなあ。」 「えっ?!」
先代から数えればそういうことになるのだそうです。 ご自身は「小学校を卒業するといくつになるかなあ。その頃からや。」というわけです。
この国の政治や社会意識を象徴的に示す言葉がいくつか目につきました。
一つは新防衛大綱の策定に当たって「多用途運用母艦」なるものを作ろうという。「多用途」に運用できる観戦だというのが文字通りではあるけれど、その多用途の中にどういう用途が含まれるかはっきり言わないということが問題だ。
既存の「いずも」型護衛艦の改修を考えているらしいが「せっかくある装備なので、できるだけ多用途に」使いたいということなのだ。「せっかくある装備なので・・」ということもまた政治のごまかし論だ。この鑑定自体が「専守防衛」という制約に収まらない航空母艦ではないかという強い批判にさらされてきたものだ。それを「ご指摘には当たらない」的な議論で強行採用してきた。敵地攻撃能力を有さないということなのだが、今度「多用途」化する際に、まさに敵地攻撃能力を持つF35Bというステルス戦闘機の発着を可能にするように甲板を改装しようというのだ。とにかく入り口をこじ開けて既成事実を作ってしまえばあとはどうとでも地靴を付けて国会多数で強行する。批判に対しては「ご指摘には当たらない」「適正に対処する」のほか何も言わない。根拠を示せと言われれば統計数字や調査資料まで偽造し、隠蔽する。それがばれても法案審議には大きな影響を与えないと押し切る。「いずも」を「護衛」艦というのも言葉のごまかしでしかない。
漁業法改定で漁場を地元漁民から大企業に提供しようとする言う動きが強まっているが長谷川水産庁長官は地元漁民への説明を「きりがない」と言ってのけた。安倍首相は「丁寧寝説明」を言いながらこれまた(自民党などが)国会を開かなかったり、虚偽答弁(者)を擁護する。森友でも加計でも国民は少しも「すっきり」していないのに「十分に説明した」ことにしている。事実と証拠と道理をもって論敵や国民を得心させるのではなくて、とにかく「議決」さえすればよいという考えだから、国会日程の時間つぶしに答弁をし、説明会をしたというアリバイ作りにしか説明会をしないから、相手の疑問質問に対して虚心坦懐に耳を傾けることなど思いもつかない。だから「きりがない」などと言えてしまう。
せっかくあるのだからと当初の目的や規制を無視してなし崩し的に拡大解釈をする。ずるずるべったりにあらぬ方向〔彼らの当初からの目標ではあるのだが)に突き進む。
「多用途」などという曖昧もこの言葉を乱用して本来の狙いを隠す。
国民の疑問や不安には「きりがない」「ご指摘には当たらない」と説明を打ち切る。
国民無視の政治が極まってきている。
- 2018/12/02(日) 00:00:52|
- 働く人々
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