「ポッキーの日」じゃなくて「ポッキー&プリッツの日」だそうですが・・・。 まあグリコの戦略に乗せられる必要もないので。
撮影のために「小道具」を準備してくれました。 私の要求に応えて、というばかりではなくて自身もこういう写真にしたいという気持ちが乗ると、やはり表情が変わりますね。
ある写真家がモデルと撮影者とは写真制作にあたって「50:50」だということを言っていますね。

これとても大切な考えだと思います。フォトマヌカンを尊重しないといけません。(その点でまたある写真家がプロのモデルの場合にはお金を払っているので100%写真家の方に、どう撮るか、どの写真をセレクトするかという決定権があるという内容のことを言って、それをずいぶん強調していましたが、私はそれには同調できないなあと思いました。プロとしてモデルを引き受けた以上は素材として使われることを受け入れたんだからとそう考えてもらわないと困ると言うことだろうと思います。それはそれで一面正しいと思うのです。が、そこにやはり人としての尊厳を傷つけない付けない限りという厳然とした制約を意識すべきだと思うのです。そうしないと絶対的な支配のように・・・相互に・・・思い込んで、パワハラ、セクハラの温床になりかねない意識を広めてしまうことを恐れます。)
私など技術も考え方も足りない者にとっては「70:30」とか「80:20」でフォトマヌカンを選んだ時点でほぼ勝負は決まっている・・という感じです。
そして被写体を引き受けていただいた人の魅力を少しずつ一緒に掘り起こしていきます。

この日は、私の希望でほかの場所で、既に撮って来ています。
曇りの日で雲が厚くしかも15:00くらいですから光が足りないのですが、私の悪い癖で5DのようなカメラではISOを上げるのに躊躇してしまうのです。
そうであるなら別のカメラを選択すればいいのにプラナーを使いたいという思い込みが先走るのですね。

実際5Dに不満はあってもプラナーで撮った写真がうまくはまるととても魅力的な絵になるので使いたくなってしまうのです。
強い光の下ではあまり良くなくて、柔らかい光の状態で特性を発揮しますが、弱すぎるのでもこれまたまたダメなんです。

私としてはこのレンズをフジのカメラに付けたらどうなるんだろうと想像してみるんです。

少女の面影と大人びたレディーへの成長とがせめぎ合っているのですが、こういう小道具は可愛らしい側面を引き出すようですね。
立ち位置こそ指示しますがポーズ、表情は基本、お任せで楽しみます。
ある写真家さんが「モデルに撮らされてはダメだ。」と強くおっしゃっていましたが、それは多分プロの写真家の要件じゃないでしょうか。

その写真家さんは私の写真を見て、最初はとても高く評価してくれましたが、その後ダメだダメだとおっしゃいます。
せっかくのご忠告も「馬耳東風」「馬の耳に念仏」で大変申し訳ないのですが。
- 2018/11/19(月) 00:00:24|
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