「よその子とオクラは育つのが早い。」と華丸さんは言うけれど、まさに・・・その通りですね。
そして周囲の人たちに流れる時間と自分の時間は同じようではないということが不思議です。

まあ、今こうして生きているという事実が不思議と言えば不思議なんですが。
その二つの不思議が出会って一枚の写真になります。
砂糖と茶が出会った不思議と同じなんでしょうか。 うん?! 何のこと。

この不思議を形にして実在させることのできるこの道具はこれまた不思議な存在です。
この不思議の結晶は私がこの世を去った後にも残るんですよね。
この人は永遠化されるわけです。 この人を撮ったという私の行為もまた永遠化されるというわけです。
(後日、ドアノーのお孫さんの作った映画の記事を読むとその中にドアノーの言葉として「写真は撮った瞬間に、過去のものになってしまう。しかし、それは永遠となる」という文章を見つけました。 やっぱりそういうことなんだなあ・・・・と。)

これって何か私にとってはバランスを欠いているんじゃないかという不安を醸しますね。
その永遠性に対してこの私の行為のなんと軽くて迂闊なことか。
なんてことを考えているとまた自己嫌悪に陥ってしまって撮れなくなりますから、やめておきましょう。
なんといってもこの人の魅力にひかれて撮っているわけですから。

話は全く変わりますが、ロベール・ドアノーの「ドアノーの愛した街パリ」展を見る機会がありました。
かれは「写真は創るものではなく探すものだ」と述べたそうですが・・・・その割にはいくらか演出もあったようですが・・・、それにしても彼の人々の視線に対するヒューマンな観察眼!
写真の歴史はその後「創るもの」としても展開していきますが、私はやはり「探す≒発見する」派ですかね。

大事なものはこちら側にではなくて向こう側にある・・・と、そういう事かな。
- 2018/11/13(火) 00:00:34|
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コメントありがとうございます。 モノクロがお好きでしょうか?
- 2018/11/13(火) 21:21:59 |
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