最近「月の石」のtsuguさんとお話しさせていただくことが多いのです。
Fcブログをされていることは、これまでつゆ知らず、大変失礼しました。あるいは聞いていたのに、いつものように、二、三歩歩いて脳みそからポロリとその記憶がこぼれたのかもしれません。
シャッタチャンスに対するこだわりと素晴らしい色彩感覚で写真を撮られます。
そういう方に出会えたのも手作り市の功名です。

似顔絵書きでは、昔はお客さんを長く縛らないために「5分で描きます」なんて言うのがあり、かなりラフな絵を描いているものがありました。
お客さんもよく心得ていて2,30分絵描きの前のいすに座って世間話を交わしているようなこともありましたが、やはりそれが注文のネックになっていたのでしょうね。デジタルカメラ、ことにスマフォの普及で「写真を撮て描きます。手作り市をぐるっとゆっくり楽しんできてください。・・・その間に描いておきます。」が一般的になってきました。

私はこれでは似顔家書きの醍醐味がなくなるなあと思っているのですが。
話しながらその人の地や良い特徴を引き出して、それを絵にして描くことは、写真を見てはできません。
絵を描く人も写真を使うことが多いようですが、それでは絵を絵に書き写しているだけじゃないのかなと思います。
描くことは認識を深化させることですし、その認識の深まりを結晶させるのが絵だと私は思うのです。
・・・・といったからといって「見たままに描くんですよ。」という「そのまま写生」論を言うわけではないんです。・・・・
写真もまた同じですね。

写真は、いわば対象そのままにそっくりに撮れてしまうという宿命がありますから、どう失敗したって下手な絵よりうまいので、ちょっと写真を撮ることについて思い違いをしてしまいます。
誤解を生むような言い方ですが、「何とか下手に撮る方法」を考えないと「ただの写真」から抜けられないという事かなあ。

私のものなど、「ああ、こう写っちゃった。」というようなものですからね。
進歩がないわけです。


- 2018/11/10(土) 00:00:47|
- 手作り市
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