全く時の流れのはやいこと。
前回この手作り市に来た日から、もう一月が過ぎた。 光陰矢の如しなどと言っている場合ではないのである。
うっかり時を過ごせば矢は三十三間堂に飛んでいくのである。
親しい知人が体調を壊して長年多くの人に愛された店を閉じることになった。私より一つ上である。
今日の通り沿いの風景も年年歳歳どころか毎月毎週のように姿を変えている。
「玉しきの都の中に棟をならべ甍をあらそへる、髙きいやしき人のすまひは、代々を經て盡きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。或はこぞ破れてことしは造り、あるは大家ほろびて小家となる。住む人もこれにおなじ。所もかはらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。あしたに死し、ゆふべに生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける。知らず、生れ死ぬる人、いづかたより來りて、いづかたへか去る。又知らず、かりのやどり、誰が爲に心を惱まし、何によりてか目をよろこばしむる。そのあるじとすみかと、無常をあらそひ去るさま、いはゞ朝顏の露にことならず。」 鴨長明の観察のとおりである。
さて、そういう訳で手作り市の出店者もあるは来たり、またあるものは去るのが習いということになる。
「そう言えばあのカメラ担いで、撮らせてくれ撮らせてくれと言っていたおっさん、最近姿を見んなあ。」
「出歩けんようになったんちゃうか?」「おもろいおっさんやたけど、案外もう逝ってしまうたかもしれんで。」「そやなあ。 あっ、いらっしゃい。どうぞ手に取って見てください。一個一個手作りですからみんな一点ものですよ。」
そうしてもう誰も思い出しもしなくなるのでしょうねぇ。 私のことなど一体何人が思い出し話題にしてくれるでしょう。
で、今日初めてお目にかかった似顔絵かきさんたちです。

見本に飾られている加藤一二三さんやマツコ・デラックスさんの絵が印象的で、これは以前街中で見たことがあるなあと。

そうなんです。南座近くや寺町などに店を展開する「会社」組織の社員さんのようです。
「養成もしていますからプロになりたい人や素人で楽しみたい人まで対象に教えている教室もあるんですよ。」

対象の特徴の掴み方、デフォルメの仕方は「練習すればだれでも描けるようになりますよ。」とのことです。
お客さんをデフォルメする段階もいくつかあってかなり「面白い」マンガチックな描き方まで段階的な見本があります。

「描かれたお客さんが、え~?!私こんな感じかなあ」という場合でも隣にいるお友達が、「そっくり!!」という場合も多いんです。」
自分で自分をイメージしている像と他から見たその人のイメージは違う場合が多いんじゃないかなあと言います。
写真を撮っていてもそれは感じますね。
私の場合も自己イメージは随分上方修正していますから、つまり「盛って」ていますので、自撮りの写真を何枚、没にしたことか。

先ほど中国語を話すお客さんが立ち寄りましたが、このお二人は中国語で楽しく会話していました。
やはり観光で来た客を捉まえる努力をしているんですね。
会社の方針でしょうか、自主的な努力でしょうか。
英語ばかりが外国語じゃないですからね。

私がカメラを取り出すと「まるでカメラマンみたいですね。」と言われました。カメラ本体とレンズが大仰だからでしょうか。
考えてみるに趣味の写真愛好者はどのように呼ばれるのでしょうね。

「いやあ、あはは。」がいつもの私の答えです。

一昨日は「没後50年 藤田嗣治展」を見てきました。国の内外から集めた藤田の作品群はとても刺激的でした。どんな人も戦争や恐慌という社会状況から自由であることはできないわけで、それと如何に向き合うのかということが問われるように思いました。(これは彼のいわゆる戦争画が軍部に協力的な絵であたということを言おうとしているのではありません。私は一面ではむしろ与謝野晶子の
「君死にたまふことなかれ、すめらみことは、戰ひにおほみづからは出でまさね、かたみに人の血を流し、獸(けもの)の道に死ねよとは、死ぬるを人のほまれとは、大みこゝろの深ければもとよりいかで思(おぼ)されむ。」に通じるものを感じました。)
『サイパン島 同胞臣節 全うす』はまさに皇国臣民の在り様を描いた絵だと評価されるのでしょう。
「わが日本人同胞は、臣民道徳をまっとうし、捕虜とならず、全員が死を選ぶのです。 」の図ですね。
ですが大きな画面中央やや右寄りに描かれる女性はこの画面を見る者を真っ正面から射貫くように見つめて「あなたたちは何を知ているのですか?」と厳しく問うているようにも見えます。
彼の初期の作品に属するもので部屋の中に人物が描かれているものがあります。その向かって左手後方には絵皿が壁にかかっています。その絵には白人地主であろう人物が鞭をもって税を納めさせている図が描かれています。
画中の豊かな西洋婦人の背後にこうした絵皿を何故書いたのか彼の思いを知りたいと思いました。
大政翼賛的に戦争に協力したしてついには二度と日本の地を踏むことのない人生を選ばされた藤田ですが、これを機会に少し彼に関して調べてみたいと思うようになりました。
彼について何も知らなかった私の感想です。
- 2018/11/09(金) 00:00:51|
- 手作り市
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