この日の会場の様子を想像しそこなって、最前列の端の方に位置を占めることができたのですが・・・・。
お客さんの迷惑にならないように、お客さんの背後から望遠で撮ろうという目論見が外れました。それが外れたのは、できるだけ近くで表情を撮りたいということと背景に屏風のほかに何か他のものを入れたくないという気持ちからすれば、幸運な「外れ」ではあったのです。

ただ、何事も禍福は糾える縄の如しの通りで、ここでは動けないばかりかお客さんの耳に近すぎて「シャター音」が大きすぎます。
フジX100Fをこういう時のために購入していたのに、読み違いで置いてきてしまいました。荷物の重さが堪えるからです。いつもならばメイン機に何かあった時のために備えとして持ってくるんですが。

X100Fならシャッター音を消せますし、この近さなら画角的にも好都合でした。
今日はα99なんですがα900に比べれば音は小さいとはいえ、澄ました耳にはやはり邪魔です。
一しきりシャッターを切るとカメラは床に置いて、私も耳を澄まして二胡の音を楽しみます。
撮影という行動、気配もまたお客さんには気になるでしょうし。

すでに何度も聞いている楠田さんの演奏ですが、二胡の音の哀愁のある深い響きはこうした会場ではなお一層染み入りますね。
とにかくこの人は情感表現に優れています。
この人の人柄と研鑽のたまものなんでしょうね。

演奏ごとにファンを増やしているという感じです。

時に観音さんのように見えることがあります。

ご住職から花束が贈られましたが、楠田さんは自分がプレゼンターとしてご住職に今日の演奏の機会や長谷川さんの絵の展示の機会を与えてくれたことの感謝の気持ちを送るものとばかり思って、花束を住職に渡そうとする瞬間がありました。
会場から、「反対 反対」「逆だよ」と声がかかって。
そんな人柄もあってファンはますます増えるのでした。
「この電話の記録音声はあなたの声ですか?」
「非常に聞きづらいので(自分の声かどうか)判別できない。」
〇〇氏に×××の内容で電話をしたとはないと断言した人が、この音声については「自分の声ではない。」と否定しきることもできないというのは不思議な話だ。
〇〇氏にその要件で電話したことがなければ「録音音声」が明瞭でないので判断しきれないなどというレベルじゃなくてその内容において否定できるはずなのだ。・・・こういう不思議な理屈で自分の潔白を主張しようとする人がいる。
「私は行政府の長なので国会の定数をどうせよなどということは三権分立の趣旨からいって言うべきことではないからその質問について答えることはできない。が、国会が発議する権限を持つ憲法改正については(憲法と法律に従って粛々とその実を上げていくべき責務を負う)行政の長であるが私の任期中に是非国会で議論を進めていただくようお願いしたい。」
行政府の長だから質問に答えないが、行政府の長だが国会の憲法改正という議題について容喙し、行政の長として自衛隊員を前にして憲法改正にたいする決意を述べる・・・こういう理屈を言う人がいる。
せめて「一か月前に言っていたこと整合しないじゃないか!」という位のごまかし方をしてほしいものだ。
- 2018/11/05(月) 00:00:17|
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