仏を彫る、妖怪を彫る・・・・・どんなことなのだろうかと思いながら撮る。
私は息が短い。 高橋さんに迫って意味の中心を決めて、ふさわしい焦点きめて、構図を決めて、流れの中のその瞬間を待つ。
息はなが~いリズムにして姿勢を保持する。
で、その刹那、息が止まり同時にリリースボタンを押す。 緊張から解放されて、ハーっと息が漏れる。

時にはリリースボタンを押した直後に「そうじゃない!」と脳内のつぶやきがあって、すぐに後を追ってシャッターを切る。
それが数回続くことがある。その間呼吸は止まっている。
そして「良し」の声がすると、喉が開き、息が通って肩の力が解け、割った腰を元に戻す。

私の呼吸が戻っても、高橋さんの集中はまだまだ続く。
ずっとずっと続く。ひとまず彫刻刀を取り換えて、息を整え、やや目を細めて全体を見直して、また集中の世界に戻る。
その波が私のそれより数等倍長い。
一小節も長ければ一曲も長い、そんな演奏だ。

私のは即興曲を幾度も取り換えて演奏するような感じ。
対して高橋さんの彫は一節一節にも細やかに神経を払われていながら更に心行くまで演奏が続く。

先日は高橋さんの膝の中で小ぶりな仏様が全身を高橋さんにゆだねてその姿を彫るに任せていた。
今日は妖怪が高橋さんの手の中でまだまどろんでいる。目覚めはもうじきだ。

足の指一本一本が彫り分けられ、肉付けられていく。
そうして手も足も、まさに血肉を帯びた体になっていくのが分かる。

技が惜しまれることなく注がれて、妥協がない。

妥協無く撮るっていうのはどういう事だろうと、ふと思う。
- 2018/11/03(土) 00:00:55|
- 伝統工芸
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