街で行きかう人を撮ったりするときは、人の流れを気にしながらファインダーの外の人が何時ファインダーに入って来るのかそのタイミングを見計らいます。そして、こういう場合にもそれはやっているのですが、子供さんの動きは予想がつかないことも多々あります。
自分も位置を移動して、そのうえでこの女の子を画面に入れてフレーミングしよう・・・などと考えているうちに女の子が駆けだして、思わずシャターを切り、ピントを歌っている彼から外してしまいました。

こういうパフォーマンスは聞く気で歩いている人ばかりを相手に演奏するわけではないので、時によっては誰も立ち止まって耳を傾けてくれないというなかなか厳しいこともありますが・・・・。
それでもちゃんと足を止めたり、歩く速度を落としたりと、いろいろな人がそれぞれに耳を傾けます。

この写真は友情も感じられるようでちょっといいかなと思います。

目障りな看板に上着を無言でかけてくれたのは、こちらの彼です。
最初、私が自分のリュックをかけてみたのですが、かえって目障りになるのでやめたのでした。
文字情報はどうしても人の注意を引きますから絵的にはじゃやまなんですが、しかし、この床撤去工事の注意書きは、こんなもののあるところで演奏する彼らの二人とそれ以外の他のミュージシャンたちとの「力関係」なども現れていいのかなとも。
雑然とした場所での演奏・・です。

先日、他で撮らせてくれた若者が「言ってくれれば場所も動きますし、振りも指示してください。」と言ってくれました。
「理解して協力する奴はいると思いますよ。」と。
そうかもしれません。
でも私のはドキュメンタリポートレートフォトですから、多くの場合は、そのまま行きます。


自民党の総括質問に稲田元防衛相が立った。
国会、国民を欺くようなことをした人物は、その責めによって防衛相不適任を言われて辞任に追い込まれた。その人は防衛大臣であることだけでなく国会議員であることさえ不適格だと思われたのだが、その人が・・・・最早ほとぼりは冷めたとばかりに・・・・こともあろうに自民党の代表として総括質問をした。現今の自民党という党の在り様はどこまで立憲制的な観点からして腐敗、堕落しているのか。この人は弁護士資格のある人だから法学部を出ている人だし司法試験にも合格している。だのにおよそ近代憲法の意味を少しも分かっていない。司法試験ではおそらく完全に「面従腹背」で通したのだろう。
いわゆる十七条憲法を持ち出して、「和をもって貴しとなせ」という文言は「民主主義」を意味しているから古来日本は伝統的に民主主義国だったなどと言い始めた。彼女にとっての民主主義とはいったいどういう概念なのだろうか。
十七条憲法は近代的法令の条件を満たしていない役人の心得にすぎず、その役人は国民への義務を負わずその福利を目的として公務を務めるのではなかった。「国に二君なく」天皇のために仕えよ、というのがその本質。大日本帝国憲法もまたしかり。内閣は天皇を輔弼し(たすけ)、国会は天皇に協賛する、裁判所は天皇の名において裁判するのである。あくまで政治主体=主権者は天皇であり、そのどこに「民主」があるのか。
それでも、結局彼女の中では大日本帝国憲法下の日本もまた民主主義が実現していたというのだろう。大正デモクラシーも実現していたし、天皇機関説的な解釈も成り立つ要素があったのだから、民主主と言えなくもないというのでは、多分ないだろう。彼女の理想は「国体明徴」以来の日本であるらしいから。つまりは神権天皇が彼女の目指すところ。
そんな程度の民主主義観だから、森友加計をめぐる問題での政府与党の真実隠しや答弁拒否の姿勢・・・そして自分自身は国民に日報隠しをしてきたが・・・をも民主的な行政の在り方と見ているのだろう。
なるほど明治150年は連続しているわけだ。
こういう人がこういう総括質問をする国が今日の日本である。もはや自民党にも期待すべき内容、要素があるなどと悠長なことをいってはいられない。公明党のブレーキ論などは目くらましでしかない。それは維新が喜んで応援する自公政権であるところみれば明確だ。
安倍倒せ!が自民はいらない!に変わる日は案外近いかもしれない。
各地の心ある冷静な保守主義者の自民党員諸君! 君たちはそれでもいいのか。それで「自由・民主」党員と胸を張って言えるのか。
- 2018/10/30(火) 00:00:51|
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