
それにしても・・・・毎度書くことですが、・・・・現代のカメラが高感度に強くなって、そのことが撮影機会を大幅に拡張しましたね。
一台のカメラで、フィルムを入れ替えないで、カラーで撮ったり、モノクロで撮ったりと切り替えることができるのも大事件です。
撮影ジャンルが違えば、連写性能についてそういう感想を持たれている方もおられるのでしょう。
手ブレなんていう言葉もそのうちに死語になるかもしれません。
デジカメによって撮影の可能性が大きく広がっていますね。
それは本当に驚くべきことです。
短時間のうちに何十枚も撮れるのです。(フィルムだったら財布がちらついてなかなかそうはいきません。)
それで、もっとこう撮ったほうがということをどんどん実行できるのですから、一時代前では考えられませんね。

フィルム時代の作家たちの撮った連続したフィルムやベタ焼きを見ることがたまにあります。
同じシーンを何枚か撮りなおしています。
そしてそのうちの一枚をセレクトする作業の後を追うことができます。
たくさん撮れるようになれば、このセレクトにさらに労力が必要となります。
が、ただよく言われるようにとにかく撮っておけば後から何とかなるという覚悟のないシャッターの切り方にもなるような気がしますが。
・・・・・逆に、撮ってなければ話は始まらないという大問題もありますが・・・・・・

カメラについているモニターでその場で撮影結果を見られるというのも革命的ですね。
フォトマヌカンを撮るときに大きな画面のモニターにすぐに映し出してフォトマヌカンと撮影結果を共有しながら撮れるのも・・・私はそういう道具立てを持っていませんが・・・・・相当に大きなことだと思います。
有難いことです。

それだけ多様に撮れる技術的な可能性を与えられたのですから、大いに生かしたいものです。
6月の「100本のトランペット」の撮影のために、自分の「人を撮る」課題からすれば使うことはないのに、仕方がないなあと思って、購入した二本のレンズがあります。
一本が75-300ミリで、もう一本が20ミリです。
実際、こんなレンズ、これからずっと埃を被ることになるんだろうなあ、・…つまり300ミリで撮ることも20ミリで撮ることもないだろう…と思っていたのですが、豈はからんや、そういうものがあれば「こういう撮り方もできる。」と思考が拡張することが分かりました。
道具や器械の機能の拡張は人の可能性の拡張なんだとつくづく思います。
だからこそ、撮りたい絵をどんどん広げていけるという事なんですから、撮りたい欲望を大いに拡張したいものだと思います。
- 2018/09/19(水) 00:00:44|
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