もし私がリタイアの際に故郷に戻っていたとして、もし仮にやはりカメラを持ち出して・・・人を撮るのは、あの地方では無理かなあ・・・写真を撮っていたとして、地方中核都市の浜松辺りで個展をすることがあったとして、「やっぱり個展をするのなら京都でしたい。」と考えたでしょうか。

多分、さんざん考えて、うだうだ言いながら結局、あの地方を出ることはできないのでしょう。
私自身について想像すれば、ほぼ確実に、写真も続かず本の世界に戻ったのではないかと、そんな風に思います。
友人たちと酒を酌み交わすごとにいつか京都で「個展をしてみたいものだ。」などとクダをまいているに違いないのです。

この方は中国地方の日本海側から来ておられます。
時々こういう方にお会いするのですが、私は率直に「偉いなあ」と思うのです。
第一私には遠い地方のギャラリーに連絡をとって、予約したりすることさえできないだろうと思います。

そんな私の「アカンタレ」ぶりと比べて偉いなあというのではなくて、描くことを継続する意欲と意志をお持ちになって、ついに京都にいって個展をしようということを実現する力に感心するからです。問題は前者です。
コミックの絵を模写することが大好きで、小学生のころから絶えず描き続けて来ていたのだそうです。
それでそういう線描きのイラスト的な絵を脱して、着色し、さらに絵を重ねる描き方を模索して今日に至っているのだそうです。

写真にとられるのは決して得意ではなくて、むしろ苦手だとおっしゃいます。なるほど表情が硬い。
緊張が顔に出ていますねと言いますと、顔を両の掌で、洗顔するようにくしゃくしゃともみほぐしていました。
「緊張するのもあなたらしさですから・・・。」という慰めにならないような言い方で・・・・。
でも撮る側の人間からしたら、まさに緊張するのも、顔を赤らめるのも・・・皆まさにその人らしさだと思って撮るのです。

「目線をどこに持って居たtらいいのかとか、そういうことが分からないので・・・・。」お困りになるというのは、多くの皆さに共通することです。
手のやり場にも困りますよね。
- 2018/09/14(金) 00:00:33|
- 絵画
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