7年余り前から、今のように人を撮る活動を始めたのですが、人を撮るということがどういうことをその中にふくんでいるのかということが少しずつ見えてきたように思います。
以前は予想しなかったような多様で滋味ある意味が含まれているのだなあと、少しずつ感じられるようになってきています。

どんなことであってもとても一筋縄では「分かった」ということはできないのだろうと思いますが、「人を撮る」という実に簡単なことからも気づかされることが、また、波及的に出てくることがたくさんあります。

自分の子供なら何年も何年も、写真を撮り続けることがだ切るかもしれませんし、ある役者の専属カメラマンになったなんてことになればそれもまた何十年の写真になると思います。
私のような写真活動では、そのように継続することはとても難しくて、ただの一回限りというケースが大半です。

ことに若い女性…20代前半…では、とても大きくそして度々立ち位置や環境が変化しますから、とても継続的に撮影の相手をしていただくことはできません。
ちょっと間遠にはなっても「また撮ってくださいね。」と言っていただいている人は数人います。が、それがなかなか実現にはこぎつけられないのが現実です。

先日、ある方に7年ぶりくらいにぐ全お会いしたのですが、「また機会があればとってください。」と言っていただいたのです。
長く続けていると、そんな事もあります。前回撮らせていただいた時には3か月もお子さんと一緒でした。もう小学生ですね。

そういう人生の中の不可思議というか「妙」というか、そういうことを感じながら撮ります。
今ドイツで頑張っているダンサーさんも「来年帰国した際には・・・。」と言ってくれていますが、その人を最初に撮ったのは、もう何年前になりますか。渡独直前の事でしたね。

私のα900が様々な人の生きている姿を見てきたことになります。
なんだか不思議な器械だなあと思います。

リタイア後の人生第3次五カ年計画の終了時までに累計2000人の人を撮れば、又人物を撮る写真について何かを見つけることができるだろうと思います。
今は当面第2次五カ年計画のうちに清水寺・経堂での個展を含めて3度の個展、二度のグループ展は実現したいなあと思います。
「難しんじゃないかって?!」
そんな風に首をかしげないでよ。
そのために君にはこれからももっともっと協力してもらうつもりでいるんだから。
- 2018/09/03(月) 00:00:23|
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