ジャンル分けとしては「人物」の方がよりふさわしいと思うのですが、敢えて「写真」としました。

この方とはじめてお目にかかったのは今を過ぎること4年半ばかり前の冬の事でした。
私は、「どこの写真グループにも属さないで活動しよう。」という決意を翻して京都ファインダー倶楽部・ファインドアイに加入させていただいて、初めて新年会にお誘いいただいたのです。すでに写真展を終えての加入でしたので、写真展会場で会員の方と交流することもないままの新年会参加でした。

それでこの方のお顔は見ていたとは思うのですが、多くの会員の中のお一人以上には認識もしないし記憶もないのです。
それから今年で4度の写真展がありました。
多分、毎年の写真展で初日から最終日までもっとも長時間会場にいたのはこの方か私だたろうと思います。

私たちの写真展は「現代 文人 光画展」という一風変わったものです。
聞きようによっては多分に鼻持ちならない面がありますが、私は・・・・通常なら最も反発するべきことでもあるのですが・・・むしろ肯定的にそれを受け止めて加入しました。
写真展はその人の生き方や思想を表して、写真の腕前の巧拙を問題にせず表現の個性や創造性を最大限に尊重する≒なんでもありの会なのです。

そういうことを幾度も言葉としては聞き、それを「とても良いことだ」と受け止めていながら、なお実際の会場では「なんだろうこれは。これが『写真』の作品?」ということを想うことがしばしばで、到底私の頭がついてはいけませんでした。
その作品の一つがこの方のものでした。

会場では壁面を出店者で分け合い、年によって出品者数によって一人宛2メートルであったり3メートルであったりしてきました。
初出展の時は2メートルでしたが、この方は4メートル超す壁面と当然のごとく押さえていました。
何たる不平等!と憤ったものですが、その人の作品の内容に従って面積が案分されるのは当然だというのがこの会です。

私たちを取り巻く世界にある写真は実に様々な分野にあり、託された意味役割も千差万別です。
それを「写真展」と聞いただけで、人は勝手に「文系」くくりにしてしまい、「写真好きの常識」の枠の中で物事を考え始めます。
写真専門誌の責任も大きいですが、写真について一番狭い固定観念を持っているのが「ハイアマチュア」などという言葉で呼ばれたり、ひそかに自己イメージを持っている人たちではないかと思います。
- 2018/09/01(土) 00:00:47|
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