先日イタリアのプロ写真家、Flavio Galloz氏の写真展で「少女の切れ長の目の張を表す言葉はあろうはずがないようで・・・」という川端康成の文章をイメージした女性の写真を見ました。
その女性は目じりを化粧によって「切れ長」に強調していましたが、もし氏がこの人を発見していたらきっとモデルに・・・といたtのではないかと想像します。
とにかく私が5年余り前にこの人を「発見して、「撮らせて」とお願いしたのは、まさにこの「切れ長の目」の魅力があったからです。

一時期・・・・私があまりその目じりを気に入ったせいもあってか(きっとそんなことには関係なく)・・・・赤く強調していたこともありました。
が、そんなことをしなくても、この見事な目は「舞妓・芸子」をしていればピカイチだったことだろうなあと思わせます。

とにかく、私がこの人を撮るときのエネルギーの半分は、この切れ長の目をつかまえることにあるのです。
現代のアイドルたちの二重のぱっちりした目とは違う、江戸期や大正期にもてはやされたであろう目です。・・・と、私は思いこんでいるのです。

勿論、この人の魅力はそれに尽きるのではありませんが、いろいろな写真家が追い求めていて、求め切れていない「切れ長の目」の持ち主のこの人は、私がそれをしつこく、撮ろう、つかまえようとしていることを十分に知っています。

髪も切らないでと、いつも言うのですが、この時髪を長くしているのは、近づいている結婚式のためだろうと思います。
自分の毛で髷を結おうとしているんじゃないかと。多分そうだろうとおもいます。 (後日、本人聞くとそういう事ではないそうで、他人は勝手な想像をするものです。)
結婚式の時のメイクさんが間違えなければいいがなあと思います。この人の稟質を十分に生かせばきっと和美人になるはずですから。

実は私は、この人を・・・ある方がおっしゃっているように…妖艶に撮りたいのです。
出会った当初に一度その手前の写真を撮りました。それはとても良かったと思います。まだこの人が大学を出たばかりの頃でした。
以来、その境界からずっと退いたところで撮って来ています。
Flavio Galloz氏がプロであって、私がいつまでも素人ということがそこに現れているように思うことがあります。

この人自身が、私がもたもた歯がゆくしていることを分かっているんじゃないかと思います。
そういう頭の良さのある人ですから。

私の故郷はかつて幕府直轄領で代官所がありました。県の東部≒駿河の国は「朝敵」にされてしまった徳川慶喜の後に宗家を継いだ家達が領地替えされて移されたところです。かつての幕臣は家達について駿府、のちの静岡県に移り、厳しい生活に耐えました。牧之原の茶畑などは旧幕臣らが開拓した農地です。
家達に70万石をあたえたのは徳川を支持するか、薩長藩閥政府の徳川合法政権からの軍事的権力強奪に批判的な諸藩の藩主層・士族層の半申請不可を恐れ、支配層である旧武士蒼の分裂と対立を恐れた三条の懐柔策だと考えられます。
懐柔には一定成功した面と、しかし、にもかかわらずくすぶり続ける新政府に対する反発がありました。
ですから戊辰戦争時に伊勢や東海地方(我が遠江、駿河地方などを含む)の国学者や神官などは、薩長勢力に加担して草莽の士を気取りました。内戦に当たっては軍事的にはほとんどまたく無力で役に立たなかった彼らです。そういう彼らは薩長勢力が江戸を抑え東北に優勢な軍を進めると、ほとんど何の役立ちもなくなって、故郷に帰らざるを得なくなります。
しかし、故郷の状況と言えば、幕府直轄の旧幕臣や農民たちは必ずしも真政府に好意的ではなく、徳川幕藩体制に対してシンパシーを持っています。ましてや徳川家が減封されて移された駿河においておやです。
そんなところに薩長の権力簒奪集団に追従していった国学者や神官が戻れるはずもありません。
そこで新たな就職活動として見い出したのが、戊辰戦争の戦没者の慰霊、仏教勢力に対する抑制政策に便乗した神式の葬送儀礼の考案とを合体させた招魂社の創世の提案と実現です。その招魂社が後の靖国神社になります。
これらの国学者や神官は新政府におもねり、権力に食い込んでいきました。そうなると地元の人々もこのつてを頼って立身出世や営業的、社会的おこぼれにあずかろうとします。
そういうことを潔しとしない人々と、追従を事とする人々が気分感情において融和しないのは当然で、具体的なところでは薩長政府に対する態度において微妙なずれを生むことは自然です。
そういうことが県政の中での高校学閥として残されてきているんじゃないかなと遠く離れて住むことになったために実証的根拠をもたない私の推測です。
地元銀行や大企業の中にもそうした高校学閥が隠然として力を持つようです。
安倍晋三氏はNHKを巻き込んで盛んに明治150年キャンペーンを繰り広げていますが( 1.明治期から今日までの日本をのっぺりとした連続として=大日本帝国憲法下の日本と敗戦後の日本国憲法下の日本の間の異質性を希釈して 2.薩長藩閥軍人国家を理想化して・・・)ついに「薩長で」今後の日本を作っていこうと・・・・これは単なる乗り込んだ地元へのリップサービスと考えてはならないのであって・・まさに彼の歴史観の下敷きの露呈なのだと思うわけです。・・・・口に出してしまいました。
尊皇攘夷を唱えて薩長同盟に与した武士たちが、新政府によって四民平等を突き付けられて切り捨てられて没落の憂き目を見て「不平」士族となりました。同様に、その後の繁栄は薩摩でも長門でもない江戸がその富と栄華を独占してきている現状を・・・ときどき幕末・維新を扱った大河ドラマで自尊心をくすぐって慰謝しながら・・・不満に思う人々がいないとも限りません。そういう人々を薩長優先政治の再来の幻影を見させて懐柔し、支持勢力に置こうという腹なのでしょうか。
安倍氏の発言を奥羽越列藩同盟に与した諸藩の人々や、各地の幕府直轄ようだたっ地域の人々はどう受け止めるでしょうか。会津や長岡の人々に感想を聞いてみたいものです。
いずれにしても安倍氏の歴史観は時空を超えた幻想の領域のものとなっているようです。
私はこれまで現政権を薩長藩閥軍人政権の現代版と見て批判してきましたが、どうやらそれを他ならない安倍氏が裏付けてくれるようです。
- 2018/08/30(木) 00:00:32|
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