昨日から「京都ファインダー倶楽部・文人光画展」が京都文化博物館で開かれています。
昨日一日の来場者が300人越え。来場者も多士済々で色色な驚きがありました。
終了⒑分前を切って駆けこんでいただいた方。退社してすぐ来られたんだとか。素敵な人だったので、「いつか撮らせていただけませんか。」とお願いしたところ良い感触のお返事をいただきました。実現するといいなあと思います。
私はできるだけ在廊するつもりでいます。

人は誰しも変化発展の途上にあるわけですし、ということは今までの要素とこれからの要素を二つながら持っているわけで、つまりは、言葉を変えていうならば、この人の場合「女の子」と「女の人」が同時にある訳なんですよね。こう書いてしまえば、あまりに言い古されたことでしかないんですが、
事実、こうして撮っているとそれがよく分かります。

今というものは過去と未来で作られているわけなんですから、それはそうなんですyけど、曽木にいろいろ観察の妙があるわけだし、働きかけてその人を引き出す楽しさがあるわけですよね。
それでご本人か気づかないでいたその人を写真の写しとってみたり。

明るさを変えるだけで、とても違ったものになります。
だからオートで撮らないわけなんです。
オートで撮るということは、どう撮るかがないということだと・・・自戒しているんです。
無論、それを生かした方が良い場合がないわけではありませんが、

肌に光と影のマダラを作らない…なんて言うのも、基本でも原則でもないですね。
そう撮りたいことも、そうはしたくないこともあるという事でしかありません。


- 2018/08/23(木) 00:00:18|
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