高齢の、ことに男性が、こういう場でいろいろと長広舌をふるいたがることについて、それはやめた方がいい、疎ましく思われているし、嫌われているということを書いた記事などによく出会います。
私のギャラリー巡りの経験からも、あの人ちょっとその辺を気付いた方がいいなあと思うことがたまにあります。

ですから、私自身がそういう振る舞いをすることについて多少自重するというか警戒する気持ちはあります。
が、私は若者の作品に対して門外漢、素人的な印象であれ、感想であれ、気づきであれ、提案であれいろいろ話しますし、聞きます。

学生の写真展などでは受付の学生を呼び集めて模擬合評会をしたりします。
中にはもう初めから「おじさんの話なんか聞く気ないよ。あんたの時代はとうに終わってるし、引っ込んでたら。」という態度を示す若者もいないではありません。
でも、むしろそうでない若者、学生の方が断然多いです。

それは現代若者の社交術でもあるんですが・…つまり面倒なことを波風立てないでかわす術・・・・・、そんな風にこちらから距離を保って、どうせ若い者には不快な思いをさせられるに決まっているみたいに構えなくてもいいようです。
この作品に、さらにこういう工夫をするとどうなるだろうなんて踏み込んだ話もします。

若者の多くは、それをあまり嫌がらずに一緒に考えてくれます。
写真の模擬合評会が始まると、そういうことに気付くことができるんですね、今度私の作品でみんなに合評してもらおうかな、などという反応がほとんどなんです。
自分の作品ついてとやかく言われることを避ける、嫌がる傾向があるなんて決めつけないほうがいいです。

問題は自分たちが自ら主体的に参加して納得のいく評価過程であれば、多少厳しい評価がそこに出ても、むしろ興味を持つのです。
そんな時に私たちの世代の若い時との対比をしても、だからと言って毛嫌いされることはありません。

ただ、自分や、自分世代を美化して自慢するだけの、話をそこに持って行くための撒き餌的な話をすると、それはすぐに見抜かれてしまいます。
いまの若者が置かれた状況を、訳知り顔に理解して見せるのも、あまり好感はもたれません。
事実に基づいて話すことや、知らないことは彼らに尋ねることが大切です。

若者の政治意識や知識を見ると歯がゆく思う点が多々ありますし、社会に臨むうえでの考えに視野の狭さや功利的な考えが強く感じられることもあります。しかし、それが私たちの尺度からして間違っていると思っても、足りないと感じられても、それを説教して済む問題ではありません。
彼らの在り様にはそれなりに歴史的・社会的理由、必然がありますからそれを一緒にたどることが大切です。
第一私たちが正しいかどうかも常に検証されなくてはならないのですから、現代に生きる人間として共に反省する仲間だという事です。
街を歩いてこういうことを考えることがあります。
- 2018/08/21(火) 00:00:07|
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