若い人と話すのは楽しいことです。
「若い人」は娘や息子の世代より、ますます孫の世代に近づいていきます。が若い人は今も昔も魅力的です。
自分の若い時と引き比べてあれこれ言うよりは、自分の若いころの「穴があったら入りたい」「舌を噛んで死んでしまいたい」ような「恥ずかしきことのみ多かり」きあの苦さを思うと、一緒に話し何か役に立ちたいと思うのです。
ただ基本スタンスは「同時代人」です。

同じ時代を生きる「同時代人」として、ただいくらか経験を積んだものとして、お互いをリスペクトしながら話すことで、いろいろ刺激を受けることができます。
そして「今どきの若い者」にたいする「ダメ出し」さえ共感・共有することができるのです。

驚いたことにこの人は一回生でした。
しっかりしていますし、好奇心が活発です。
「わたしも一眼を持っていて写真を撮ることがあるんです。」
(念のために付記しておきますが、初めの3枚もお断りしたうえで撮っています。)

この日のこのギャラリーでは写真展がされていました。
率直に言って私にはなかなかすっと受け入れられない表現でした。
「どうですかこの写真たちは。どんな風に見るべきでしょうか?」と尋ねてみます。
この人の専攻は自ら描いたり作るというのではなくてプロデュースをしたり構成をしたりする仕事について学んでいるのです。
ですからこうした「受け付け」の仕事も学習の一環として体験しているわけで、それを知っているものですから、敢えての質問もしてみるのです。
学校や先生たち外として外で学ばせているのは、私のような人間に出会うためなのですから、そういう人間であってあげることは教育目標にかなうというわけです。
お互いそういう想像力や遠慮をもってお互いの提起に応えたいものですね。
青年を育てることを学校にだけ家庭にだけ任せていてはいけないのです。

私たち大人≒社会にも負うべき役割があるのです。楽しい役割が。
彼らから教えてもらい「対話」することで、私も大いに学べます。

そうすれば「今どきの若い連中」がどれくらいいいものを持っているのか、よく分かるのですから。
そしてあれこれ目に付く弱点もどうしてああいう具合になっているかが、少しずつ分かるのです。
そこを他人事にしないことが、「同時代人」として生きることの一つの道だと私は思っているのです。
ここに来る前にある大学の写真部の4回生と「今どきの若い連中」について一緒に愚痴ってきました。同じことを考えているのです。
- 2018/06/29(金) 00:00:28|
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