この時私の愛機は「カメラのエラーです」が表示されていました。
表面は平静を装って撮っていますが心は千々に乱れて・・・・・いなかったのですね。
確かに、困ったなあ、どうしようという観念が頭の隅に低音を鳴らし続けていましたが、どういうわけでか、案外平静なのです。これには自分でも意外な感じを受けました。
年齢の所為でしょうか。

この若い人の前でおたおたおろおろできないと思ったからでしょうか。
私の手持ちの機材ではこの一週間の撮影課題をこなせないのはどう考えても明らかでした。
まあここで慌ててもどうにもならないという開き直りだったのでしょう。こういう開き直りをもっと若いころからできていれば、私の人生はもう少し違ったものになっていたような気がします。

OVFのカメラからEVFのカメラに取り換えると発想を逆転するくらいの感じで撮らねばなりません。
この人を含む状景を見ているのではなくて、その時の設定でカメラによって作られる像を見てシャッターを切るのですから。

そしてカメラがますますオートフォーカスありきの構造、機能になっているようですので、一層「見ないで撮る」写真になってしまいそうです。
焦点を選択するという意識も随分弱くなるなあと感じます。
便利で時に大いに助かるんですが、それ自体が大きな落とし穴になっているような気がします。

α900の入院という事態になり、α900の中古を手に入れるつもりが、急に翻意して、その場しのぎでα99に手を出したので、余計にそれを感じるのです。
α900では具合の悪い時、例えばシャッター音が大きすぎる、高感度耐性をもう少し欲しい、暗所でピントを合わせたいなどの時には、このα99は大いに重宝するとは思うのです。しかもありがたいことに2400万画素ですし。

でもファインダーをのぞいた時にやはりガックリ来るんですね。
まあしかしこれもまた道具ですから使い込んで適材適所でいきましょう。
私の選ぶフォトマヌカンはやはりこういう人になりますね。

- 2018/06/25(月) 00:00:04|
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