水墨画の作家さんです。
宮本沙海さんと言って、既に相当の実績のある方のようです。
私の後にギャラリーに入ってこられた方が、テーブルに墨や筆のあるのを見て「ここで描かれるのですか?」と尋ねられて、「今、紙を買いに行ってもらっているところです。」とのこと。

実は直前まで色紙に描いておられたのですが、ある方に頼まれたものをお描きになるという事で私も待っていたのです。
そこへ「買ってきましたよ。」と紙が届きました。
「実は私はお描きになるところを写真に撮らせていただこうと待っていたんです。」と「告白」しますと、「写真を撮るんだそうだ。」と少しももったいぶらずに了解していただけました。

「Eureka!」 アルキメデスが物体にはそれぞれの比重があることを突き止めた時に叫んだことで有名な言葉です。彼はその発見の喜びで風呂から飛び出し裸のまま街を走ったそうですが、自然や人生の深奥の真理を発見することは、実に大きな感動を伴う事でしょう。
沙海さんが「Eureka!」と叫んだというわけではないのですが、長谷川等伯の「松林図」は「雪山松林図」とでもいうべきものだということに気付かれた時にも啓示を受けたような身震いがしたのではないかなと想像します。

テレビ番組で東大や京大を出たタレントたちのものしりぶりが面白おかしく演出されていますが、東大や京大を出て「物知りであること」をタレントの粋であるかのように扱われて喜々としている時点で、価値はないなあと思います。
彼らが果たして「Eureka」と叫びたくなるような知的な活動をしたのか、聞いてみたいものです。
まあ難し数学の入学試験模擬問題を解けたときなどには、そう叫んだかもしれませんがね。

と、話は変わりますが、
「京都の紙は、どうもキレがないなあ。」とおっしゃりながら描いておられました。
たまたま購入された紙が、うまく墨を吸ってボケが広がらないようです。
やはりご自身の表現にかなった紙や墨、筆が必要なんですね。それはそうだと思います。
そのために紙を求めて幾千里という事もあるのですし、自らの用にかなうように職人に漉いてもらうようなこともままあるのですから・・・・。

今、ブドウを描かれていますが、「水彩絵の具はホルベインがいい。」とつぶやいておられました。
写真は少し明るすぎてブドウの色も青く鮮やかですが、実際は少し紺にふれた渋さのある色のような気がしました。

ご覧のような筆の持ち方で、ブドウの一粒はいわば「一筆」で描かれます。幾度も筆を重ねて形を作っていったり塗り重ねるようなことはほぼ見られません。
形は既にすっかり手の内にあるような描き方です。ですから粒の生命力というか生(せい)の鮮やかさというようなものが表現されるように思えました。

日大のアメフト部プレーヤーの危険タックルに端を発して、今や日大問題と言っていい話題が続いています。この問題は様々な意味で日本社会の縮図、典型の観を示しています。
大学にはたくさんの教授連がいるはずですが一体彼らは何をしているんでしょうね。危機管理学部について揶揄する声がありますが、他学部の研究者も同じです。日大に自主自立の批判精神を持った学問の徒は存在するのでしょうか。きっとあれこれ評論し愚痴ったり自己弁護したりして不満を漏らしているものは多いのでしょう。が、問題に対しては頬かむりして他人事というか、危うきに近寄らずの態でしょうか。日大教職員組合は独自に声明を出してはいますが、その力は必ずしも大きくはなく孤軍奮闘だと漏れ聞きます。組合を敵視しそれに近づくものを差別する空気が強いとも聞きます。それで一人一人が孤立分散させられて、大勢としては今までにほとんど武装解除され去勢されてしまっている教職員の在り方も、日本社会そのものです。私には長いものに巻かれて自己保身と我利だけに閉じこもっている人々の巨大なピラミッドに見えます。それは日本全体の姿とも重なります。日大は果たして最高学府であるかどうかその資質は根本から問われますね。
他大学、財務省、文科省・・・・はどうなんでしょうか。
- 2018/06/11(月) 00:00:53|
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