いや~、6月に入ってしまいましたよ。どうしましょう。
2018年は超特急ですねぇ。
6月から8月の下旬にかけてはちょっと忙しくなりそうです。
それで5月に少し撮りたかったんですが、なかなか実現には至らずに、 今日は久々に撮影に出かけます。 どんな成果が得られるでしょうか。

この人もスマホで写真を撮っています。
写真を撮る人口は爆発的に多くなっているでしょうし、それを公開する人もとてつもなく増えていると思います。
ですが旧来の?写真世界にいるモノには写真文化が大きく飛躍したような感じがありません。そこに何かギャップがあるような気がします。

写真撮影人口の増加傾向は日本の写真文化のステージアップのために絶好の状況だと思うのです。
京都グラフィーへの関心の高さを見てもそういう兆しはあると思うのです。若い女性が「一眼レフ」で撮ってみたいとよく口にしています。そして、一眼レフを首に下げている女子たちをよく見かけます。

でも一方で大学の写真サークルのメンバーはあまり京都グラフィを見ていないし、おじさん・おばさんたちの写真展を見ません。 カメラ女子たちにも街のギャラリーで写真展を見ている人は少なそうです。

インスタグラム世代と写真展世代とがクロスしていないんでしょうね。
先日ある写真展を見ました。それはいわばインスタグラム写真文化とは違う旧来からの写真でした。そこに捉えられているのは街のあちこちにある「空地」でした。私自身は何の感慨も得られませんでしたし、これにどういう作品的な意味があるんだろうと首をかしげました。
それでそこにいるスタッフさんに疑問をぶつけてみました。いろいろとお話をしてくれました。

説明を聞いてなるほど、とは思いませんでした。
が、確かにこういう作品を高く評価する人がいるんだ、またそこにはそれなりの評価の価値観があるんだということを知りました。
こういうことをインプットしておけば、また別の機会にこういう傾向の作品を見た時に、何かしら意識して見直すことがあるだろうと思います。

私の写真だって?そんなに深い意味なり重い価値がこもっているわけではないですし、好みに合わないからと言って全否定はできません。

こういうものは多様であっていいのです。

ただ・・・・・。
- 2018/06/01(金) 00:00:07|
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