将棋というゲームは不思議な仕掛けですね。
手持ちの駒は9×2+2=20個ですから、初手には20の選択肢があると言えばあるのですが、実際はそんなことはないようで、まず、初手で桂馬ははねられない。
それで18の選択肢です。

左に角、右に飛車が配置されていて左右が非対称ですから、右の駒から動かすか、左から動かすか、それぞれの意味合いが違います。
ところが数手後には、どちらから動かし始めても結局は同じ駒の配置になることもあり、そうなるとそこまでの経過の意味はどうなるのかとか。
素人目にはよくわからないことがたくさんあります。

私は囲碁のルールはまるっきり知らないのですが、一時期、日曜朝のNHKの番組で囲碁の対戦を毎週見ていました。それぞれの置いた石の意味は何も分からず、形勢も勿論分からないのですが、それでも不思議と面白いのでした。
駒の動かし方ぐらいは分かる将棋はというと、どういう訳か昼からの将棋の対局は見ないのです。
おかしな心理ですね。

囲碁も、将棋もこの限られたマス目の中で石なり、駒なりを動かして勝敗を争うのですが、なんといっても「感想戦」というのがあるというところが素晴らしいと私は思うのです。
勝った負けたという事はとても大事なポイントです。が、対局の中での相互のやり取り、そこでの妙手をお互いにたたえ合い、拙着はそれでまたなぜそういう手を打ってしまったかなどをお互いに検討して財産にしあえるという素晴らしい文化です。
素晴らしい手が生まれるのは、相手がそれにふさわしい手を打つからであって凡手しか打たない相手に妙手で答えようにも応えられないということをよく理解しているからだと思います。

ただ勝つためには相手が不調であり、うっかりミスの凡手を連発してくれれば「ラッキー」なんでしょう。
しかし、棋士たちは「良い棋譜を残したい」ということをよく口にします。
お互いの高度な攻防が棋譜に残され、そこには両者の思考の跡が示されているのですから、対戦者がどれほど高い山に登ったかが万民に開かれていて、のちの時代の人にも分かるわけです。
それは片方の棋士だけでは決して登れない山なのです。

こういう文化を持つ私たちの社会で、先日の日大アメフト部のようなスポーツ観がむしろ例外的なものでないことを知るのは残念なことです。

今日の京都盆地は晴れ。私は暑い夏日は晴れてさえいれば大好きなので、その限りはご機嫌であるはずなのだが、いくつかのことが重なって気分が落ち込む。
そのいくつかの事の中には、今世を騒がせていることが関係している。実に暗澹たる気持ちになる。
北朝鮮問題でアメリカ・トランプ大統領の日替わり方針転換。しかも、北朝鮮が核実験施設を爆破した直後に現地にいて目撃しているメディアが知るようなタイミングで発表した。(トランプ氏は米人記者の身の上を何も案じなかったのだろうか。)そしてまた今日は「米朝首脳会談はやる」と転換。そのことの分析は置くとして、日本政府がこれに対して何ら長期的方針・戦略、事態の分析を国民に示すことなく、ましてや北朝鮮に対して何一つ有効なコンタクトもできないで、ただ外周をおろおろしてひたすらトランプを信頼し指示すると一つ覚えのセリフを繰り返し、何の自主的な検証もなくトランプの袖にすがろうという態度。
日大の学長会見では、四の五の言い訳を連ねながら宮川君の認識と、監督・コーチの指示との違いがあるが、目下、第三者委員会によてっ調査をしようとしているとして自分の認識・判断を保留をした。そうしておきながら、後半では、今どきの若い者は指導者の言うことをよく理解しないことがままあるという一般論を言い出して、例の「乖離」論に立っていることをしれっと述べている。しかも宮川君は勿論アメフト部の学生からの事情聴取もしないで。自ら事実に当たる気など全くないという態度。しかも会見を日大と付属高校関係者への弁明の機会と位置付けているなど言語道断。
だから日大から関西学院大への二度目の回答も、宮川君からの事情聴取の無いまま行われている。認識が一致していない当事者間の片方だけの認識で回答するという不誠実。日大学長は宮川君の学校復帰や就職職斡旋などに尽力して支えていくなどと言いながら、今回のプレーについての事情聴取さえ直接にはできていないのだ。彼の悩み苦しみに沿う援助などできるはずもない。
「学校法人『加計学園』は26日、愛媛県今治市の獣医学部新設を巡り、安倍晋三首相が2015年2月に学園の加計孝太郎理事長と面会し、計画の説明を受けたとの記載がある県の新文書について「当時の担当者が実際にはなかった総理と理事長の面会を引き合いに出し、県と市に誤った情報を与えてしまった」とするコメントを発表した。」(共同通信)そのコメントが言う「誤った情報を与えてしまった」ということを伝える実質的な記事は6行にしか過ぎない。誤った情報≒虚偽の情報で愛媛県や今治市を欺いて巨額の補助金を引き出し、また政府との交渉に当たらせたというのに「あれは嘘だったよ。」で済まそう、済ませると思っているのだ。文中に「関係者」に対してご迷惑をかけたとあるが、その関係者の中には名前を騙られた安倍総理が含まれるはずだ。なのにこのコメントにはその権威・権力の前に恐れ入るような緊張感は微塵も見られない。それはそうだろう。この5月2日に総理と加計氏が会っていては、総理が困るのだ。加計学園がそのことを虎の威として大いに利用したのはいいけれど、今や事情が変わってきて「それは嘘でした」にしなければならなくなったのだ。これで総理も胸をなでおろしてくれるだろうと思うから、決して恐れ入って慌てふためくなどという心理にはならないのだ。さすがに県の公文書の方を「嘘だ」というわけにはいかないので・・・・ネトウヨたちは盛んに改竄だ!などと言っているが、そのネトウヨのメンツなど構っていられないので・・・加計の方が言ったことをウソにしてしまった。
まあ安倍総理は心の広い人だから自分の名をかたることぐらいは、中にはそういう人もいるだろう、騙られる側からはそう人の事はよく分からないと寛大に受け止めるに違いない。
しかし、そうなると愛媛県文書は総理と加計氏が会って獣医大建設について話しているなんて言うにわかには信じられない・・・・だってそんなことを総理がしたら政治の私物化、公私混同になるのだから日本の行政のットップである総理がするはずがないと・・・・[いうまでも、そうではなくて、総理と加計氏の中は衆知のことだから然もありなんとして「総理案件」化していくことを計算しているわけだが]、目をむくようなことでも、事実は事実として(加計学園側の発言も忠実に記録している)伝えているという事で、この部分以外の信頼性も却って担保してしまうことになったのは皮肉なことだ。
今治市の市長は・・・・書くもばかばかしいので、わざわざ自分の気分を悪くすることは今日はもうこれでやめておきたい。
- 2018/05/27(日) 00:30:31|
- 状景
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