太秦の撮影所でのエキストラや、電気炊飯器の内釜のメッキ工場での深夜労働など、私も少しならバイトをした経験があります。
新撰組隊士や官軍兵士、金バッチを付けたヤクザの構成員、ヘルメットを被った極左学生・・・・こういう学生と対峙して大学から暴力をなくそうと奮闘していた我々アルバイト学生仲間は複雑な心境でしたが・・・・や機動隊員、必殺仕掛人の捕り手たち・・・そういうエキストラをした思い出は懐かしいものです。

ですがアルバイトに割く時間が惜しくて、三度の食事を二度にしていたものです。
でも今は大学生になったらまずやりたいことが「バイト」のようです。高校生でもそうですからね。
確かに今の学生は学費も高いし奨学金制度も改悪されて学生生活のための費用が大変です。また我々の時に比べて消費生活(欲求)が大幅に拡張させられていますしね。
そんななかでたくましく学生生活を送っていくためには、また社会勉強の「触り」にはなりますから、バイトをするのもいでしょう。
バイトをすると売る側の立場、サービスする側の気持ちが分かるようになりますし。

初バイトの初日と聞いてつい話しかけたくなったのです。

それで普段はあまり手を伸ばさないし試食品にも手を伸ばしてみました。
マンゴウの甘みが、実に美味しかったです。

この人はきっとこの日の景色を忘れないでしょう。
お釜のメッキ工場の徹夜労働を終えて、バスも電車もないので、皆で歩いて寮まで帰ったあの時の景色を私が時に思い出すように。


それにしても日大当局・アメフト部は「あああ、やっちゃったなあ。」という感じですね。国民の多くは「既視感」満載の日大の対応に、「一日も早く忘れてほしい」と願っているあの人たちに「なんて余計なことをするんだ」と歯ぎしりさせていることでしょう。日大のあの危険プレーをしたディフェンスのプレーヤーの行為は「偶発的」なものだったと改めて説明しています。 いやそうじゃなかったでしょ?! 監督が強い気持ちで積極果敢なプレーをするように言ったのが、学生の理解との間に「乖離」があって、当該学生が、あのようなプレーを割いてしまったと、そういう構図にするはずじゃなかったんですか。だからその学生はやり方は監督の思いと違ったけれど、彼のやり方で意図して強い気持ちであのプレーをしたのでしょ?! だからあれは決して「偶発」的なモノじゃないはずだったのです。 何に「偶発」的なものだったと説明するのは、とにかく監督の指示ではないということにしてしまわねばならないという心理があるから、その場面場面でできるだけ監督の指示から遠くなるように脚色する気持ちが働いてしまうのです。事実に基づいて説明しようとする場合には事実という動かしがたいものがありますから言葉の選択などで多少の揺れはあっても、こんな決定的な揺れは出てこないのです。ある人の明らかになててゃならないことを覆い隠すために事実の方をゆがめると、そのある人のやった悪事からできるだけ遠くへと奥へ話を持って行きたい心理が働いてつい嘘が大きくなってしまうのです。「私や妻がかかわっているとしたら・・・議員であることもやめる。」なんて・・・真実を明らかにして謝罪する、総理大臣をやめるなどの中間段階をすっ飛ばして・・・国会議員もやめる」といえば、いかにも天地神明に誓って「かかわっていない。」と思ってもらえるだろうという、関わっているという事実」のある人の心理の働いた文言だろう。やっていなければ、やっていないという事実は動かし方、どのように追及されてもびくともしない事柄だから、そんなに大見得を切らなくても静かに否定すればいい。そうでないから「指示した」というところから「指示とは『違った』行動に出た。」になり、さらに「偶発的」に起こってしまったので意図的でないばかりか避けようもなかった、起こってしまったことだから立場上謝罪をするが、監督に罪はないという少しでも遠い話にしてしまう。それが「語るに落ちる」という事だ。
二例とも「問うに落ちず語るに落ちる」の例を上げよという時に適例となりそうだ。
- 2018/05/20(日) 00:00:15|
- 働く人々
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