ギャラリーで個展をする際にオープニングパーティーなどが行われたりします。
私はそういう事をしたことがありませんので、そこで作家としてお話しするような機会にも恵まれてはいません。もしそういうようなことになればどうするんでしょうね。
私の場合は自分で個展を計画して、自分で開き、自分で閉じているのですから、やろうと思えばできるのでしょうが、果たしてわざわざ私の話を聞こうなどという奇特な人がおられるとも思えませんし・・・・。

野球が上手だからと言って、演劇に巧みだからといって、あるいは見事な小説を書くからと言って話がうまいとは限りません。人間なかなかそう都合よくはできていないと思うのです。しかし、人はその道の匠の話を聞きたいと思うことがあり、またそれを聞いて大いに感心することがあるのです。いえ、話が旨いと感心するのではなくて、話の中身や、それを話すその人の態度などに感服することがあるわけです。

私は、あまり写真を褒めてはいただけないのですが、時に「文章がいい」と思わぬ褒め言葉に接することがあります。
私自身は密かに、文章より話の方がうまいと思っているのです。
もともとそれが職業でしたし、テーマによってはそれなりに話すことができるだろうという自負はあるわけです。

7年前にこれからどうしようと考えたのです。その時にそれまでの仕事の延長上で「話す」ことをしようかとも考えていました。それ自体大学卒業の時に目指していたことでしたから、ようやく本来の目標に進むことができるなと思ったのです。
他にも写真以外にも二三考えたことがありました。
多分私の出来ることで一番ましなのはその「話」でしょう。そして社会的な貢献度も一番だと思います。後はこれまでの蓄積においても能力においても到底及ばないモノばかりでした。ですが、私は写真を採りました。

すでにある程度できることではなくて、まだ何ほどもできないことをする。自分として一番ワクワク度の高いものをする。一番「ねばならない」「しなくてはならない」ことから遠いことをする。今まで見たことのない世界を見られることをする。
それに「話す」ことについては、ここは京都ですから、他によりよくできる人がたくさんいますから(これは実は別の意味で認識不足でしたが。)
それで、写真・・・です。

それで、こういう風に、秋野 不矩氏の最後の弟子という日本画家の写真を撮ることができたわけです。
秋野 不矩氏は日本画の中で、私が好きな人の一人です。静岡県の二俣の生まれの方です。
師弟関係は難しいものです。
- 2018/05/08(火) 00:00:58|
- 絵画
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