福井安紀さんと言います。
画家、日本画家というべきでしょうか。
この時の個展が、なんと101回目のものです。

この方は鑿の削り跡が美しい木の板に土で絵を描かれます。
全国を回って様々な土を集め、それを絵具として使うのです。
この時の黒く見える絵の具はある火山の土とある植物を焼いた灰とを混ぜて膠で説いたものです。

この絵の具の探求にもこの方の絵の魅力があるのです。
木肌の質感や年輪を生かし、そこに土のマットな質感を重ねて独特の画風を作っています。
絵を見る角度によって土の絵の具は光ったり影を作ったり、その肌合いの変化を生みますから、単に何色とは言えない魅力があります。

木の節や年輪の流れを見ていろいろなインスピレーションが湧くのだそうです。

「筆の先を目を凝らしてみることはないのですよ。」とおっしゃいます。
「見てしまうと、どういう線にしようか、どういう点にしようかと意識が働いて、そうなると既に自分の中にあるパタンや例に沿って上手く書こうとしてしまうのでダメなんです。」

剣術において剣先に意識を集中してしまうと相手の全体の気配が感じ取れなくなるというようなことでしょうか。
常に全体に意識・感覚を広げて感覚に促されるままに描いていくと言われるのです。
う~ん、素人には。分かりにくい境地ですねぇ

でも少しわかる気がしないでもありません。
写真を撮るときに、例えば人物の瞳や唇にある光を意識し、それにピントが合うように気持ちを入れます。でも実はそうしていながら画面の全体やその人物の表情や体の傾き・気配を感じて、よし、今だ!とシャッターボタンを押します。決してピントが瞳にあっているかとか、笑顔かどうか、髪が逆光の中で光っているか、などの中の一つのことだけに識を集中しているわけではなくて、その主たる点を意識しながらも常に全体を感じ取っている・・と、そういう事でしょうか。
違うかな、
似て非なることかもしれませんね。

同じように松の枝を書いても、リスを書いても、その時々でみな違うのだそうです。

つい先ほどもお客さんが来られて「またちょっと描いてほしいものがありますので、よろしくお願いします。」と言って帰られました。
100階から次のステップに1回目。
ちょっと気持ちを新たにしようと思うとおっしゃっていましたが、「100回かあ。」と思わずため息をついてしまいました。
- 2018/04/30(月) 00:00:45|
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