人間だれしも・・・・と言ってしまうとみなさんまで巻き添えにしますから、少なくとも私はと言い換えますが・・・あの時人生の別の選択をしていれば・・と思う事の一つや二つ、三つや四つはあります。
私が旧職を選んだのも、振り返れば、その選択にはある種の内的な必然性があり、時に「天職だなあ」と思う時もありましたが、それでも「If」は心の隅にあるのです。

私の場合は幸か不幸か、他の道に進めばより大きな成功をおさめられただろうなあなどと夢見るほどの才覚・能力もありませんから、まずはこれで仕方がないなあと諦められる程度の事ですが。
何かを求めてひたすらに努力できるということは大きな才能の一つでしょうが、私の場合にはそういう事もないのですから、自分のしてきたこと、人生に対しての覚悟の程度からして、結果とはまあ釣り合いがとれているのだなあと思います。

ただの夢想に「夢」だの「目標」だの「野心」だの「もっていたはずの才能」だのと名を付けても虚しいものです。
実際は「やったかやらなかったか。」という事でしかないのですから。

さすがにこの年になるとそれくらいの分別はつくようになりますから、それでせめて子らからは「写真を撮り続ける」ということを「実際にやる」ことで、私が何を望んでいたのかということを現実化しないでは、また、「夢想」をむさぼってすごすだけのことになってしまします。それでは「あの時こうする選択肢もあった」という事の証明もできないということになるのだと思うのです。

「人を1000人くらい撮れば何者かになるかもしれない」という事は「1000人撮る」ことによってしかわからないのですから。
それで別に「何者かになった」というほどの事にはならないということが分かったのです。
それはそれで一つの収穫です。
この道の方向に行けば何か良いことがあるかもしれないという夢想を抱いているのではなくて「行った先で『ああここでもまたあの平凡な自分がいる』ということを発見する」ことができるのも、行った先についてのそれまでの景色とともに私の人生として滋味となるでしょう。

私はリタイアしてすぐに旧職とはきっぱり縁を切り、振り返って良いことも悪いことも蒸し返し反芻するのではなくて、・・・といっても実はなかなかそういう風には心は動かないのですが・・・・・写真に入り込みました。
だからそれを「第二の人生の手慰み」以上のものとして取り組み始めました。
もし青年期から、あるいは壮年期から写真に取り組んでいればなあなどということは全く思いません。それは単にないものねだりというだけではなくて、旧職を私なりに十分味わったからこそ今こうして写真に取り組めるのだと思っているからです。
本気で全身に全霊写真に取り組んでいる青年や壮年の方々には申し訳ないのですが、21世紀の日本には高齢期になって、生活をかけることなく、社会的野心にも転化せず、ただ自分のワクワクとして、しかし社会との関係性を追求しながら、切羽詰らずに何かに取り組めるということができるかもしれないという現実的な可能性が開けているのです。
ただ一方でその可能性を見ないで、社会との関係性を自覚しないで、無為に可能性を可能性のまま埋もれさせている姿をあまりにたくさん見るような気がしますが。
この方は、そこを見ている人のように思いました。
- 2018/04/15(日) 00:00:51|
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