「一期一会」で撮るというのも一つの味わいある事柄ですが、そこで見ることのできる「その人」というものは、その時に見せてくれている、ある状況下にある、ある気分の時のその人でしかないという事は言うまでもないことです。
とても極端な話にすると、ある人にすれ違った刹那、この人はきれいだ〔可愛い、カッコイイ・・・・〕人だという印象を持ったとして、すぐさま振り返って、友達との会話ぶりやスマフォをのぞき込みながら人の流れに分けいっていく姿を見て、瞬時に興ざめをするという、あまりにたくさんのケースがあります。

そのことはこれまでも何度も書いているように、単に私の「酸っぱい葡萄」話でしかないということも確かなんですが。
人は見かけによらずという事は、皮相を一枚も二枚もめくれば次から次へとその人が出て来て、そ皮の一枚一枚は皆その人だと言うことが言われます。
なるほど、その通りで結局○○という人は・・・といった途端に「その人」は我々の指の間をすり抜けていきます。
私は今日はこの事をシニカルに触れようとしているのではありません。
逆にその人の魅力、素敵さはどんどん多面的に、重層的に表れるという事でもあるという事を言いたいのです。

今日の撮影はまだ始まったばかりですから、今のところいつものお出かけの時の調子です。
というより、いつもは二人なのに今日は単独撮影ですからちょっとだけ緊張があるかもしれません。
もう何度も撮っているとはいえ、また舞台経験などを積んでいるとはいえ、まだお若いお嬢さんですから。

などと侮ってはいけませんね。
この人もそうですが「ただ撮られている」だけの人ではありません。

確かの撮影のイニシアティブは私がとっていますが、だからと言ってただひたすら言われるままにポーズしているのでは決してないのです。
少なくとも撮る側の意図、要求を感じ取り、汲み取って演じる気持ちはしっかりと持っていますし、その中で様々に提案して応えてくれます。
ですから、「そうそうそれいいねえ、それ行こう。」という場面が幾度もあります。

そして「今は私のどんな引き出しを開けたらいいだろうか。」と心が働いています。
できるだけいい引き出しを開けようとしてくれます。
- 2018/03/26(月) 00:00:54|
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