30年ぶりに高校の学年同窓会に出席。
幹事が「挨拶は手短に。15秒以内で」なんて非現実的なことを言うのだけれど、つい、しゃべりたがりや話に結末をつけるのがとても苦手なモノや、職業病的長広舌がいたりして、幹事を困らせるので、そういう会進行の苦労の分かる私としては、話を極限まで端折り、話題を刈り込み、それが過ぎて「今写真家をしています。」と口走り、そうなればもはや「返るはずもない水」となり、まあ次の5年間はお互いに会わないのだからいいとしようと開き直り、でもこういう挨拶は大概聞いていないのだからと慰め・・・・。

今こういうことをしているよと拙ブログの検索キーワードを記したカードを配るも、そういう面倒なものを渡されても、覗いてみようなど言うものはとても親切か極々奇特な人間で、つまりはその前と後とで事態は少しも変わらないというのが落ちになって・・・・。

それから帰れば、またカメラを持っての街歩きの日常生活に・・・。
この日常を重ねることで「非日常の域」にまで達するしかない私としては、とにもかくにも「人を撮り」続けるのです。

同じ学年を過ごした仲間が350人。物故した者はその一割だと言います。
ぜひお会いしてその後を報告しなくてはならなかった恩師は昨年終わりころに亡くなられていて、悔しい、申し訳ないことになっていました。
もし、彼の先生にお会いし、又あの「編集部」の4人に出合わなければ、私の高校生活は灰色のままだったろうし、屈折が過ぎて、どうなっていたか知れない。

この歌い手はいい声のファルセットが魅力。
こうして出会って一期一会を結んで写真ができる。
だが、彼の先生には会わず、あの4人にも会わないとしたら、それで私の人生の「物語」は成り立つんだろうか。
多分人の人生とはそういうものではないような気がする。
- 2018/03/24(土) 00:00:18|
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