ある小学校の正門わきに掲示されていたものです。
最近は入学式や卒業式の時も立て看板にはワープロ印字の文字が書かれているケースがよく見かけられます。
保護者説明会などの掲示や校内案内図などはなおさらのことです。
学校の先生は字が上手というのは遠い遠い昔の話で、むしろ恐ろしく下手で、しかも何とか読みやすいように字を書くことさえしないモノを見かけます。
まして毛筆で字の書ける人など一校の先生、職員の中にどれだけいるでしょうか。
企業でも同じではないかと思います。
「立原正秋」こそまあ上手と言って良いと思いますが、他は小学校高学年ならもっとうま書く子がいるんじゃないかと思います。
それでもまあ印字で済まそうというよりはずっとましだと私は思いますが。

貸しギャラリーなどで絵画展などがあると必ず「芳名帳」が置いてあります。
そしてそこに不思議なことに「筆ペン」が置いてあるのです。しかも、よほどの人でなくてはこのペンでまともな字を書くのは難しかろうという筆ペンが何の疑問もなく置いてあるのです。
筆で書くのを苦手としている人が斯くまで多いのに、何故に筆ペンを置くのか。またその筆ペンときては開発人・販売者のまじめを疑いたくなるような出来栄えのものを。
またこの筆ペンの置かれていることの多いこと多いこと。悪い冗談としか思えないのです。

「芳名帳」だから「筆」という思考停止した惰性なんでしょう。

そんな中で逆にまた恐ろしく上手な字を見つけます。
そんな時、しばらくじっと見つめてしまいます。 書いた人を想像します。 水茎鮮やか、墨痕荘重・・・・。
そんな字が前にあると続いて書くには気おくれがします。

年賀はがきなどのあて名をパソコン・プリンターで印刷する方が多いです。
斯くいう私も面倒なのでそうしています。 家人は手書きです。
私はフォントを行書体にしています。 そして届くハガキにも行書体が見えます。
ところがその行書体のあるものが(ある一字がではなくてひとまとまりのフォント化されたある文字集団が)美しくないのです。人が書いたとするなら『うまくない』ものがあるのです。不思議ですよね。何故それを商品化するのか、また何故、下手な字なのにそれを使うのか。
その字を上手だなあと思っているからなんでしょうか。いや、多分、書の文字に見えるので「筆で書いた感があるから」年賀状に相応しいと考えているのではないかなと思います。
中国の書家の文字は、日本の書家のそれとはだいぶん雰囲気が違います。違っていてそれぞれに魅力的です。
韓国では漢字も書きますが、ハングルのあの文字も毛筆で美しく描きます。
それらが並ぶと、それぞれの魅力に打たれます。
よい文字がありそれを美しく、また表情豊かに書くすべも伝統的に深められてきているのに、みすみすそうした文化力を等閑視していく現代社会とは何なんでしょうね。
- 2018/03/14(水) 00:00:59|
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