フェイスブックのページを開くと「知り合いかも」としていろいろな方の写真が並んで出てきます。
東京や北海道から沢山「美人」が出ています。 日本名の人ですが、どうやら韓国の方の写真を勝手に流用しているんじゃないかと思われるものが沢山あります。
試しにクリックするとその人の「友達」にも同じような顔立ちの人がいて皆さんプロフィール写真数葉以外は何も発信していません。
日本人と思しき若い女性の写真も自撮りらしい角度で同じような目、同じような口の表現、同じような化粧、表情づくりです。

( 韓国の人がご自身のページとして設けているのならいいのですが。そうではなさそうな胡散臭いページの問題は置くとして)
日本の女性がご本人として投稿しているらしい日本人らしい顔立ちの写真を見ると、私はそこに「このように見られたい」が現れているのでしょうから、何かとても寒々しい感じがします。
私が若い女性たちを撮るときの気持ちの中には、こういう「顔」に対するアンチのような気分が幾分なりともあるのですね。

それはさておき、人を撮らせてもらうと、私が見てきていない世界を見てきている人の世界をのぞき込んでいるという感覚があります。
つまりはその人の人生体験を垣間見ていると言う事なんですが。

そういう意味では20歳前後の人より、もう少し経験を重ねた人を対象とすることに、それに応じた、ますますの魅力があると思います。

ましてこの人は十年を超す海外経験がありますから私が知らない様々なことを体験した上に身に着けた感覚・価値観があるはずです。
そういう事を感じ取らせてもらうのも人を撮る楽しさです。

さて、今この向こうで、何やら講演会が開かれていて、その講師の話が聞こえてきます。
職人さんでしょうか。工芸家でしょうか。
ある分野で優れた業績を上げた方が、同じようにお話が巧みとは限りません。
とにかく、他の人が体験することがないことを体験して来ておられるのですから、その事実を聞いただけで大方の人は「ほ~!へ~!」と感心をします。それで調子に乗って言葉遣いまでぞんざいになり、武勇伝を聞かせる調になる人が・・・私の経験から言っても・・・・少なくありません。
論理もなければ分析もなしに思いつくままにお話を走らせるという、そんなタイプのひとたちです・・。

日本語を話せるのだからといって人にわかりやすく興味深く話ができると思ったら大間違いです。
そこのところを分かっていないで人選をする方もよくないのです。
まあ、話を聞く人も大概はあまりに寛容?で、そういう達人や偉い先生に対して「とても聞ける話じゃなかったです。」と感想を伝える人はごくごくまれです。「大変良いお話でした。感動しました。」なんてお追従を言うものだから話者も少しも成長しません。
それでいて高い講師料を懐にするのです。
事なかれ文化というか阿諛追従文化というか。そういうことが蔓延しているから世の中少しもよくならないのだと私は思っています。
- 2018/03/06(火) 00:00:35|
- 伝統工芸
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