人は物事や人に出会って自分を表出するので、それで自分が何をしたいのか、どんな人間なのかを知ります。
じっと座って「内なる自己」を探してもなかなか見つかるものじゃないように思います。
藤山直美さんが言うように「人間はマトリョーシカの様」で、「その人とは」というものを幾重にも纏い、剥いでも剥いでも「その人とは」に行きつくことはできないような存在です。
私が「素敵な人」と思って声をかけさせていただいて、それはやはり皮相な印象だったのだなあと思うことは一再ではなくて、またその人を通じてこそ私の撮りたい!も、膨らむのだなあと思うのです。

この人は、私からすると、不思議な違和感をちりばめた人です。
多分とっても自然に振る舞っているのだと思うのですが、その自然さの中に、チョコレートの中に隠れたナッツのような違和感。
なんとも興味深い人です。

そしてそれを違和感として感じている自分がどんどん映し出されてくるこの不思議な感覚。
面白いですねぇ。

写真を学ぶ若者に頼まれてモデルをした経験はおありだそうです。
「裁判所にいる未亡人のような感情を出して・・」 とか言われたそうです。
撮る人の側のビジョンが私などとは異次元ですね。
多分こういうビジョンの持ち方についての考え方、育成の在り方が彼我の写真を大きく異ならせているのだろうなあと感じました。
写真の中に人生を描いたりつかみ取ろうという意識の濃淡の違いが彼我にあると思いますね。
多分日本のポートレート写真の世界には、そういう意識はほとんどないのじゃないでしょうか。
若さとか可愛らしさ・美しさをただ消費するだけのポートレート写真・・・・。
無論、若さとか、可愛らしさや美しさは素敵なものですし、敢えて否定しなくてはならないモノではないのですが・・・。

実はこの人に写真をお願いして、どういうイメージで撮ろうかという時にまず浮かんだのが・・・・・、そしてしばらくそのイメージ捉まえられて、なかなかそこから離れられなくて・・・・、「まずは近場で撮りましょう。」という「まずは」のことばでようやく解放されました。
「まずは」の次は「さて本題ですが」になるはずですから・・・・(大いなる希望的観測)。

突然ジャンプしました。
私の希望的観測がこのように霞んでいくことが無ければいいのですが・・・・、それにしても・・・・いい人でしょう?!

- 2018/03/04(日) 00:00:43|
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