私はある違和感をずっと持ていました。
ある工芸作品の展示会場。それは個展でした。
そこに展示してある作品はある程度高い技能で仕上げられていて、デザインも面白いものでした。
作者を見るとまだ30才に届かない若者でした。

それで、ここまで綿密で精度高く作るのは大変でしょ? とその才を高く評価しながら訊ねると「私がデザインしたモノを他の技能者に発注して作ってもらったんです。」という答えでした。
安藤忠雄氏が建築物の設計をし建物を建てた場合「これが私の作品です。」ということがある。だから、その若い作家がそうしたモノを展示して「私の個展」だというのも、あながち間違ってはいないだろう。
いろいろな素材の知識や技能者の力を結集するコーディネートも作家の力だと、そういう評価。
だが、と私は思うのです。

私は「はじめに言葉ありき」という思想が好きではないので、余計にそうした作家の在り方に疑問を感じるのです。
無論、全面的に否定はしません。否定はしませんが。その作品の魅力を作っているのは「他人のふんどし」じゃないかという何かしらの落ち着かなさを抱えさせるのです。
ですから渡部さんの言葉に対しては深く頷く気持ちがありました。

完成まではまだまだ相当道に利が長いようですが、焦っておられる様子は微塵もありません。淡々と手順通りに続ければ「明後日には多分完成形を見てもらえると思うよ。」だそうです。
そして二日間完成作品を展示したらその翌日には搬出を目指して解体だそうです。

ネットで渡部さんを検索するといろいろな過去の作品が出てきます。
「ずいぶんたくさんの作品があるのですね。」というと「すべて個展での発表だね。僕は公募展には出さないから。」とのことでした。
この点でも私は共感するものを感じました。


- 2018/02/04(日) 00:00:12|
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