音によって心地よくなったり、感情を揺さぶられたり、時には思想的な刺激さえ受ける。
何とも不思議だと思います。
時々「MK」さんのご紹介に導かれて音楽に耳を傾けることがあるのですが、音楽の世界もとても広く深いものがあるようです。

ピッコロトランペットの演奏では伴奏の電子ピアノは「チェンバロ」に変換して演奏しています。
この電子ピアノの性能の問題だと思うのですが、通常のピアノ設定の時は両サイドのスピーカーからバランスよく聞こえるのですが、・・・・・・チェンバロがそもそも音に強弱をつけられないとこからピアノに改良発展させられたのですから、・・・・・・チェンバロ設定にするとその弱音が、二つのスピーカーから細い音になって二分されてでてきてしまうしまう傾向があるようなんです。

ボディー全体を響かせて出てくる音ではなしに、スピーカーのコーンを震わせて出す音だというシステムだから当然に限界があるんでしょうかね。
あるいは私の耳がおかしかったのかもしれませんが、気になって仕方ありませんでした。
ただ音色としてはピッコロトランぺトとの相性はピアノよりチェンバロのほうがよかったように思いました。
その場で、どうしようと相談の結果の選択でした。

楽器の編成に合わせてスコアをアレンジするのもここに集まったオーボエの人やファゴットの人が自身でしていますから、そういうところも楽しいですね。



かつての同僚が様々な大学に様々な形で籍を置いて、随分精力的に勉強を続けています。来年度もまたそうするようです。
高校時代の友人が、酒をきこしめしては突然電話をしてきます。すると「唯物論研究会」だの、森信成・小田実だの、明治天皇制の確立過程と静岡県西部地方伝承話の変遷だのということを話題にします。
FBで親鸞の思想や宗教の社会的な在り方について話題にする方がいます。
私の部屋はものだらけで書架の前をベルリンの壁のごとくたちふさいでいます。
それで、もう数年もファインダーしか覗かない生活を続けているので、ある部分の脳細胞は枯れ果てシナプスは退縮し果てているのです。それで、数ページ本を読むと、もう満杯だあと本を投げ捨てるのです。
でも、「一知半壊」を「一知半解」くらいには戻さないといけないなあと思わせる言動がFBに散見するので、上記の人たちにも刺激されてまた勉強しようと思い始める今日この頃です。
- 2018/02/02(金) 00:00:20|
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