私は寡聞にして「社会人落語日本一決定戦」なるものの存在を知りませんでした。
アマチュア落語の日本一を決める大家だそうです。
第九回になる今年の大会には167人が参加をしたのだそうです。そしてその栄えある優勝者がこの喜怒屋哀楽という方です。

小学4年生の時に桂枝雀さんの落語を聞いてからずっと落語に興味を持ち小学生の頃にすでに教壇に座って落語をされていたのだそうです。
その後大学では「落研」を結成するなどずっと落語を語る側で親しんでこられた方です。
これが優勝の副賞だそうで、チキンラーメン一年分。
360個だそうです。

私は枝雀さんや米朝さんの落語、あるいは古今亭志ん朝さんや柳谷小三治さんの話を楽しむくらいで、特にこの方面に詳しいという事もないのです。
敢えて言えば上方落語よりも江戸落語の方が、上方漫才よりも東京の漫才の方が好きだという位の事です。

この日は「時うどん」・・・・江戸落語では「時そば」ですね・・・・と大会会長である桂文枝さんの創作落語「宿題」を演じてくれました。

さすがに全国ナンバーワンになった方ですし、長年話をしてきた方ですから、「素人」とは言い条、大変な上手でした。
ただしかし、このときはわたしの意識のチャンネルが天邪鬼チャンネルに同調してしまったのか、話の場面ごとに、あるいは話しぶり身振りの度毎に、枝雀さんや志ん朝さんの話しぶり身振りがくっきりと思い浮かんでしまうという事態でした。

それは自分でも訝しく思えましたし、「素人でもてはやされる喜怒屋哀楽さんに対する嫉妬か?!」と自分を疑いもするほどでした。
そう思いながら、「それにしてもプロの名人、匠という人たちの力量、技の素晴らしさはなんと高みにあることよ。」と思わないではいられませんでした。
それは多分この方の落語が上手だったからこそそういう想念が湧いたのだと思うのです。

例えばコンサートを聞きに行っても、カラヤン、ベルリンフィルのあの演奏の時、ノイマン、チェコフィルのあのレコードの演奏が浮かんできて、敢えて比べて目の前の演奏をくさそうとするような意識でなくて、素直に、ああ、あの演奏はやはりとてもすばらしいんだと再認識することがあるんじゃないでしょうか。
「素人・アマチュア」が人並み外れた研鑽をつんでも、さらにはるかに高い地点に芸を到達させている名人、匠の存在は、やはり、人間の技量の可能性を示して、私たちに一つの希望を与えてくれると思うし、素人・アマチュアの夢、憧れであってくれるのだと思います。
- 2018/01/24(水) 00:00:40|
- 伝統芸能
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0