新年明けましておめでとうございます。
本年もお付き合いの程よろしくお願いいたします。 2018年は「大政奉還」から150年だという事で、またぞろ明治から今日までを一括りに、同じ範疇でくくろうという動きが活発です。かつての「明治100年」の大騒ぎと同根ですね。
それは「明治」から1945年までの過去の日本を「美しい国」と美化して敗戦以来の日本の歴史を清算してしまおうとする一群の人々の野望の言葉です。
私はそれに断固として反対します。
もっともいつものことながらなんとか観光の起爆剤にととにかく何でも大政奉還に結び付けて「経済効果」に期待を寄せる動きもまた活発ですが。
ただ私は逆にこの機会をとらえて薩長の「尊皇攘夷」派がやった軍事クーデターがいかにして合理化され正当化され、そしてその後の政治、文化、教育の中でそれが普及されてきたかを検証する良い機会だと思います。 吉田松陰がいつまでも偉人視されているような歴史観では日本は再び過ちを犯すと思います。薩長藩閥軍人政権のしっぽが今日まで長く幅を利かせている日本では「大政奉還」を改めて振り返る意味が、仕掛人たちの思いとは別にあるのだろうと考えています。
というようなことを冒頭からグチグチ言っていても始まりませんから・・・・。
さて、年初はその年の計をたてることが慣例です。
そう言う意味で、今年の私の写真生活をどう展望するかという事の中で私にとって大きな意味を持ちそうな方がいます。
それはシンガーソングライターの川口まゆみさんです。

毎月沖縄の辺野古に足を運んでいる川口さんは、みずからの一枚目のCDに「沖縄・平和を歌う」 と記しています。
私は昨年ひょんなことから彼女を知りました。それまで、まったく知らなかった歌手でした。

その時の写真もこのブログにアップしていますが、この人のリハーサルで初めてこの人の歌を聞いて、「(日本の)歌は死んでいない」「歌は眠っていない」と、そういうことを感じました。
そう言うことを意識したのは「写真は死んでいない」「写真は眠っていない」を見つけたくて仕方がないという問題意識が基底にあったからかもしれません。

川口さんはステージを記録する動画撮影のフレームを飛び出して歌います。動画カメラマン泣かせの人です。
それは身体が、細胞の一つ一つが悲しみ、怒り、愛して声を上げる姿でした。
自らの思いを自らの言葉と心で唄う歌の何と力強く説得力のある事か。

「地底の歌」や「がんばろう」「沖縄を返せ」を歌った季節の歌声をまざまざと呼び起こしてくれました。
新宿に、キャンパスに歌われたプロテストソングの継承がありました。「イムジン河」がNHKなどによって放送禁止されたことを思い出します。NHKや民放が安心して流すことのできる歌だけが多くの人の耳にあふれ、それがまた人々の耳を塞いでしまうな状況が異常だとさえ指摘されなくなって久しいように思います。

人々は労働し、食べ、子を育て、自ら学び鍛え、人を愛し、理想を持ち、老い、怒り、恐れ、屈辱を感じ、諦め、抗議し、戦う生活を送っているのにそれらの大半とは何の関係もないことだけ、人の営みのごく一部だけを歌うのはもはや歌とは言えないとさえ言いたいくらいです。
川口さんの歌には丸ごとの生活者の心があります。
そして何より平和に暮らしたい、差別をなくしたい、子供をいつくしみ健やかに育てたい、ハンディキャップを持つ人に寄り添いたいという本当に切実で率直な思いがあります。

この日は、私の悪い癖が出てリハーサルを撮れませんでしたが、リハーサルの時の服とステージの服は「どこが違うの」という位の人です。・・・・無論ちゃんと違っているんですが・・・
川口さんからCDをいただいた時に、ジャケットを見て「この次は私が撮りたい!」と・・・・それで僭越にも、その時撮った写真を送るメールに添えて・・・そう申し出たのです。
自信があるからそう言ったのではありません。何か力になりたいという気持ちから衝動的に、ただそう思って。
- 2018/01/01(月) 00:00:01|
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