「鮮魚店」などと書きましたが「魚屋」がいいです。
最近はスーパーでパックに入れた切り身ばかりを見ていますが、こういう業態の魚屋さんが減りましたね。
でも品ぞろえと言い、刺身にして並べられたトレー上の切り身と言い、それはいいものだと直感できます。

「これ頂戴。他によるところがあるから取っといてね。」
対面の販売で、おなじみ同士の信頼感。こういうのがいいですね。
それに、「いいものが安い」と言えます。
夕食の準備へのアドバイスもあります。

保育園に保護者からクレ-ムがあるんだそうです。「うちの子は骨があると魚が食べられないんです。骨をとっておいてください。そうでなければ食べさせないでください。」
食べられるように育てなさいよ。ご両親、あなたたちが。
それでいて「自然に触れて感性豊かな子に育ててほしい。」のだそうです。
自然には骨もあれば棘もあるんです。 だからその自然と付き合うすべを身に付けなくてはケガをするんです。
自然に触れるにはけがは付き物なんです。
(ただまあ自公政権の保育政策の貧困が保育園を利潤追求の場にしてしまい、早期英才教育導入か、食事もおやつも「これ何?!」という粗末なものにして、運動できる部屋の広さもなければ園庭がなくても保育園として認めてしまうというひどい保育政策になっています。保育士も粗製乱造で育成に手間も資金も投入しないやり方ですから、園に対する不信感を持って当然という場合も少なくないですが。日本会議のあおりがあれば森友学園の幼稚園のようなものも出てきますしね。)
イカです。 分厚い身が美味しそうです。

包丁の切れ味が、一層「刺身」をうまくします。
京都では「おつくり」と言いますが、私にはやはり「刺身」の方がうまそうに響く。
「おつくり」じゃあ上等、上品過ぎて今一つだなあ。 第一小ぶりな身を想像していけない。京都人には、逆に、そうでないといけないのでしょうが。

近所にこういう魚屋があるというのは幸せなことだと思います。
私の家の極近所には野菜も売るし、干物もある。時々てんぷらの盛り合わせも作ってくれる・・・これがリーズナブルなうえに美味しい・・・そして煮魚、焼き魚も店頭に並ぶ(この辺が京都ですね)、そして「おつくり」。
そういうお店があって、かなり厚く大柄に切った身を並べたおつくりは美味しくて満足です。
ただ周囲の住宅にお住いのお馴染みさんの食卓を思い浮かべて品ぞろえをしているので、売り切れゴメンです。
イレギュラーな大口の買い占めなどもってのほかです。
包丁の切れ味が気持ちいい。

出かける前でなければ一船買って帰るところです。
- 2017/12/27(水) 00:00:37|
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