先日クラシックの演奏会場でリハーサルを撮った時には360度周囲を回り、のぞき込んだり仰ぎ見たりといろいろアングルを変えられましたが、こういう『本番』の場合にはそうはいきません。
お客さんで席が一杯になったことをいいことに一番後ろでずっと立って、できるだけ気配を消して、ほんの3歩ほどの移動スペースを最大限に使っての撮影です。

ライブ感を出すにはお客さんの頭や肩などを写しこむ方がいいわけですが、それとともにビール瓶などまで写り込むのは私としてはちょっと面白くないわけで・・・。
ジャズの時にはビール瓶やグラス、灰皿などをわざわざ前ボケに入れたりするのですから入って駄目という訳ではないのですが、しかしやはり曲想もまるで違いますしね。画面は穏やかに静かな緊張をたたえたものにしたいわけですね。

楠田さんの演奏が好感を持って受け入れられお客さんが浸りきって楽しんでおられる様子も一つの絵なのですが。

独演会ですからMCもまたご自身で。
肉声が届く会場はいいですね。
楽器が出すのはピュアな音だけではないのですが、これだけ近くで演奏していただけるとそのすべてが聞こえ、演奏者の息遣いを含めてとても直接的で肉感的なものを感じます。
楽器はどんどん洗練され音響的にも大音量を出せるようになっていきますが、楽器の多くは、元来、畑地や草原、村の広場、家の縁などで弾かれたり吹かれたりしていたものでもあるわけですからいわば手の届くところにあったものです。

遠く高いステージの上でピュアで安定した音で演奏されるものをだけを音楽という訳にはいきません。
もっと肉体的な体温のする音楽がいいですね。
二胡もまた・・・・近代的に改良されてきたとはいえ・・・・そうした音楽を奏でる楽器の一つです。

演奏家は音を奏でるだけではなく曲を演じる人でもあると、私は思います。
ですから演奏の場での衣装も化粧も立ち居振る舞いも特別でなくてはならないと思います。それは豪華で華やかで飾り立てて・・・ということを必ずしも意味しません。

私はクラシック音楽のリサイタルのフライヤーなどに華やかなドレスやスーツを着て、楽器を抱えたり楽器の前でポーズしている写真を使う演奏家の多いことにいくらかの違和感を感じているものです。

あれは先に書いたことを演奏と切り離された過剰な装いとして表していると思うからです。
- 2017/12/20(水) 00:00:10|
- 音楽
-
| トラックバック:0
-
| コメント:1