ページ冒頭でお見苦しいお知らせですがご容赦ください。
一昨日、PCを起動しいつものようにメールのアイコンをクリックすると開くことができません。私のミスもあって使用できなくなりました。
それでブログをご覧の方でこれまでに私のメールアドレスをお知らせしている方々には改めてお伝えしようと思います。
このブログのコメント欄で管理者のみが見られる設定であなたのメールアドレスをお知らせください。返信させていただきます。
よろしくお願いいたします。 先日同じように鴨川で三線を奏でる人がいて仲間とエイサーを演じていました。
撮影させていただいてカードも渡し「写真をお送りしますからメールください。」とお願いして「はいっ」という事でしたがその後音信が無くて、その時の写真もアップしないままでいます。ブログアップ、OKのお返事はいただいていたのですが、なんとなく、実は喜んでもらっていなかったのかな…なんて思ってしまうのですね。
管楽器のアンサンブルの練習を撮った写真もそうで7人のうちの一人だけが写真を送っても、次のブログアップの承諾如何を訊ねたメールにも返答がなくて、それで結局他の方の承諾をいただけているのに、他の6人には申し訳ないのですが、今のところお蔵入りなんです。たくさんいい写真があるのにとても残念。 これでも多少の気遣いはしているのです。
この方はこの場でアップも承諾していただけていたのでありがたく・・・・・。

こういう情景を目にした時にどう撮るかを考えます。
演奏への熱中を撮るのか、こうした風景の中で一人黙々と…を撮るのか、景色ののどかさの部分として撮るのか・・・なお。

職人さんを撮るときも「自分は人を撮るんで技を撮るんじゃない。技はあくまでこの人の属性として撮るんだ。」という意識が働きます。
ですからこうした音楽を楽しむ人の場合にもそういう基準が無意識に働きます。

そういう固着したイメージにとらわれているといろいろ見えなくなるし、表現の力が停滞するよという事は様々な作家さんたちとの出会いの中で痛感しているわけで・・・・・。
それで一番適応性の大きい、35ミリや50ミリではなくて85ミリだけを持ち出したりして敢えて不自由を自分に課しているのですが。

85ミリで広く撮る、28ミリで迫る・・・・なんてことも意識しながら撮ります。

今の私自身の流れは「状景の中で人を撮る」です。
狭く人物写真にするのではなくて、背景に人を語らせるみたいになったらいいなあ、と。

横浜に住む私の畏友が水彩画で常にスタディーを試みて自己革新を図っている姿にも刺激を受けています。
ここにこうして三振を奏でている人の醸し出している空気を「ああ、いいなあ」と思いながらその「いいなあ」をどうして画面に出すか、そこがなかなかの問題であり続けています。
するとちょっとした首の傾げ方、頭(視線)の上げ方などが次第に見えてきます。
- 2017/11/17(金) 00:00:41|
- 音楽
-
| トラックバック:0
-
| コメント:5
PCやスマートフォンなどは身近なものになって、地球上のどの人々とも隣同士に住んでいるようなものであります。
社会観として社会の中ではお互いあてにし、あてにされる関係の中で生きています。
人を思いやる気持ちは、自分に対する「愛」、他人にも同じように与える「愛」そのものです。
思い遣りや慈しみ、利他の心、報恩心を持つことこそが、「自他に対する愛情」となります。
支え合い、分かち合い、助け合いが大切となるこれからの時代において、普段日常で心がけていれば、いつか自分にも返ってくると思います。
- 2017/11/19(日) 12:46:20 |
- URL |
- 日々是好日 #-
- [ 編集 ]