絞りの技術はたくさんあるのだそうで十いくつかの技がお出来になるのだそうです。
絞りの技術のほかにも、いつどういう経過でこのお仕事に就いたのかなど興味深いお話を聞かせていただきました。
私は大学を卒業してから旧職に就くまでの数年の間、社会の極下層に転落しかねない不安定で曖昧な生き方をしていましたが、とにもかくにも就職をして、その後も破滅の境をかろうじて「踏みとどまる」瞬間もありましたが、表面的には一応人並みの生活を、むしろ平凡に送ってきました。

そういう私の尺度からすると大きく人生を換えながらこの仕事に携わり、極めて高度な領域にまで到達している姿はまぶしく思えます。

「人間万事塞翁が馬」とは言いますが、いくらか長く生きてくるとそれを実感しますね。
何が幸いし、何が不幸となるか。 私にも幾つもの躓き(いえ、それらを躓きと言ってしまうのは私とその事情に対して適切な表現ではないなあと自分では思うのですが。そこにはそう至るべき思いや理由があるのですから。)もありましたが、平凡な俸給生活者の人生を送ってきたがゆえに、今こうして写真を撮る毎日を送っているのですから。

そして幸せだと信じているこの写真生活に至ったがために、ある別の生きがいを果たさないでいるという事でもあるわけで、「全き欲求は全き禁欲である。」というヘーゲルの言葉がいくらか分かるようにも思われます。

「三か月もあれば作家を名乗れるが、職人はそうはいかない。」といった方がおられます。
まさにその通りですね。
職人の技は10年や15年ではただできるというレベルでしかないのですから。

わたしは、この村上さんの様な方の前でお話を伺っていて、なぜこの方たちがこうも謙虚でいられるのかと思います。
根柢の自信と誇りがあるからなんでしょうかね。いい仕事をしているという。
- 2017/11/02(木) 00:00:02|
- 伝統工芸
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