「職人」という言葉からは時に意固地で偏屈で自尊心が高く・・・・・などなどのイメージが浮かびます。
ある分野に特化して長年技を極めてきた自負心や自分の腕があればだれにも何も言わせないという自信と自尊の感情がそういう形となってあらわれている方もないとは言えないかもしれません。
ですが私がお会いすることのできた来た方々の多くはそういうイメージとは程遠い方々でした。
そこには時の流れの反映もあるだろうし、同じことですが社会の中での職人の置かれた立ち位置の変化という事もあるかもしれません。
この方からは「現代の職人」というイメージが沸々と湧きます。
ポジティブで全く肯定的な意味合いにおいてそう言えます。
この方の師匠は

この道に60年以上携わってきてなお絣に対する情熱が溢れんばかりの方です。

絣について話し始めるととどまるところ知りません。
私は興味深く耳を傾けるのですが、時々口を押えて「話し過ぎてませんか。」と気にされる。
普段よほど話に夢中になって奥さまなどから「あんたもういい加減にしないと。」とか「また始まったよ。お客さんが困っているよ。」なんて落語にも出て来そうな場面を思い浮かべてしまいます。
つい先日経験したとにかく何に付けても自分の自慢話に結びつけてしまう鼻もちのならない長話の人との会話。
でもそういうものではないのです。
自分が発見した、自分が初めて、自分がやったなどという事を言いたいのではなくて、見つけた事実そのこと自体を聞いてほしい、知ってほしいという情熱がなせる業なのです。

私はそういう話、そういうことを話したがる人は嫌いじゃないです。

職人さんが陥りやすい体験・実感偏重の思考を大きく免れている方です。
こだわりの強い職人さんの性向が探求心に生きていると言えるかもしれんません。
貴重な方だと私は思いました。

話は変わりますが、この師匠の写真を撮らせていただくとき、どういう訳かさっぱりわからないのですが、まるでしっかりした写真が撮れないのです。
ファインダーを覗いてもこれでいけそうだという確信が持てる瞬間がほとんどなくて、しかも何が悪いのかさっぱりわからない。
結果は案の定、惨憺たるものでした。
写真は撮り直しが利きません。
その時、その場は二度と返ってこない。それを撮るところに写真の良さとはかなさがあるわけで、その時撮り切れないでは今まで一体何をしてきたのかということになります。
それで翌日はレンズを替えて出かけました。
- 2017/10/19(木) 00:00:41|
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