これまで何人かの人が銅心さんの写真を撮り、個展などで発表してきているのだそうで、中には銅心さんの半生を書きたいから取材をさせてほしいという人もあったとか。

まあ撮りたい人は好きに撮ったらいいさ・・と、銅心さんは言う。
「ワシが男前ならだれも撮りたいとは思わんだろう。」ともいう。
「案外、味のある顔だろ?」と言って大笑いする。
女性に言い寄られるのは「お前<俺」を確信している様子。 それはまさに事実だから、全く否定しようがない。
しかし、いささかの嫌味もない。

大学の同級生や同世代のかつての同僚が入院した、手術をしたなどという話が伝わる。
私も他人ごとではない。そういうお年頃だし。

銅心さんとも、「お互いなあ。」と話す。
それで「撮れる時に撮っておかないと・・・・。」と言って撮る。
「そうだな、今の内だぞ。」と笑う。

人生の修行は私の数倍。
私が他で得ている人間関係とは違う世界を生きている。
時としてそこで私が感じている「鼻持ちならない感」を、この人には少しも感じない。

いろいろな人が訪ねてくる。
「心だから。気持ちだね。」と・・・・何が人との付き合いで肝心かを話す。

暑い日、寒い日にこうして地べたに座って商売をするのは楽じゃない。
だんだん腰も痛くなるし「年とともに辛いなあ。」ともいう。
「でも、わしが休むとお客さんがどうしたのだろうと心配してくれるし、せっかく話したくて来てもらって居なかったら済まないから。」と自分の決めた時刻までは客があろうがあるまいがずっとここにいる。
人へのやさしさが行動を決めている。
- 2017/10/14(土) 00:00:26|
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