私のこのブログにこれまでにも登場していただいている。
カテゴリーは工芸でもいいし雑貨でもよいかもしれないが「人物」とした。

お住まいはもとより本名も存じ上げない。
ただここに来れば、雨風、厳寒猛暑でなければ、大概お会いできる。
ただ、ごく最近はほんの少し確実ではなくなってきている感じがする。

この方は私とほぼ同じ年恰好で、少し先輩になる。
私はこの辺りに来ると回り道してこの脇の通りを走り、「こんにちは。」「元気ですか。」と手を振りながら挨拶する。
するとこの方、・・・・銅心さんとお呼びしているが。他の方は「銅さん」と呼んでいるとも聞く。・・・・も顔を上げて手を振って「オー」とか「や―」とか「元気にしてるよ。おトウさんは?」と返事してくれる。

たまには自転車を立てかけてしばらく話していく。
私がフォトマヌカンをお願いした若い女性を連れてこの辺りを歩くと「わしに対抗して見せに来たな?!」と笑う。
いえ、女性関係では銅心さんにはるかには到底及ばないのです。

銅心さんの女性談義は体験に基づいて深く、教えられ考えさせられることが多い。
昼の太陽のもとで大きな声で話しにくいこともこの人にかかっては何のこだわりもない。
私も或は嘆息し或は大笑して相槌を打つ。 が、その境地は私の遠く及ぶところではない。

銅線で編んだ籠は見事で、それを求める人も多いし、時には遠方方来てまとめ買いするお客もいるそうだ。
銅心さんの存在意味はそれだけではない。
銅心さんがここにいることで救われている人は少なくない。

服はいつも洗濯・アイロンが行き届いて、清潔にこざっぱりしている。
敷物も乱れていたことが無くてきちんと敷かれ、プライヤーなどの道具は手入れが行き届いていつも光っている。
話しぶりは気さくで解放的、決して上品ぶった物言いはしない。だが決して粗暴・乱暴な言葉は使わない。
ほぼ確実に定時の「出退勤」をするから、悩みがあって来る人も肩透かしを食うことがなく信頼される。
どうやら私とは対極の位置にある人の様だ。
- 2017/10/13(金) 00:00:07|
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