伝統工芸士のお一人です。
伝統工芸士は全国で四千数百名おられます。
大学の教授、准教授、助教、任期制教員を含むと17万名ほどだそうです。(意外と少ないですね。)
それを比べてどうだとは簡単に論じられはしませんが、伝統工芸士の門は狭い?!

友禅の下絵を描かれています。
紫つゆ草のしぼり汁を使って描きます。
紫つゆ草の汁は水で流されて消える性質があるからです。
滋賀県草津で栽培し、こうした下絵を描く絵の具として生産販売されているそうです。(草津アオバナ)

私がお邪魔した時には竜の絵が描かれた生地を広げておられました。
見事な龍でしたし、今写真でご覧の絵は格天井ですが、こうした図案を描くのに「下絵の下絵」はありません。

つまりフリーハンドでどんどん描いていってしまうわけです。
もうすっかり絵が体に入ってしまっているんですね。
「なに職人は同じ絵を機械的に書くのだから当然だ。」などと誤解してはいけません。
職人さんの仕事はもっともっと闊達で創意工夫が満ちているのです。

本格的に日本画を学ぶ方もおられますし、度々絵画展に足を運ばれますし個展の研究にも余念がありません。
ですから例えば光琳の絵を様々なバリエーションで描いて現代的な感覚にマッチするように工夫したりもするんです。
そうでなければ職人として注文に応じられないし生き残っても来られないわけです。

花がお得意だというので、この撮影のためにわざわざ格天井の絵柄のものを取り出して、描いて見せてくれています。
若い時には随分写生もしているんです。

着物の需要がたくさんあった時期には分業が細かく確立していて下絵は下絵、それを糊で伏せる仕事はまた別にあり、さらに染料をさす仕事は独立していました。
無論今でもこうした分業はありますが、次第に上流・下流の仕事を吸収してされる方が増えています。
この方もご高齢ですがまだまだ現役で活躍されています。
一体行政府の腸たる内閣総理大臣が国会〔衆院〕の解散権を持つのはなぜなのか。
今回の国会冒頭解散はその点で全く憲法の趣旨に沿わない暴挙だということができる。
安倍政権は麻生氏が時々正直に告白する通りナチズムにそっくり重なる反憲法内閣ですから、彼らとしては何をいまさらロいう事でしょうが、それがまかり通ているという事は如何に日本の近代立憲主義政治が崩壊の危機に瀕しているかということをもっとお互いが知るべきだと思います。
中学生が政治分野の学習として日本国憲法は三権分立の仕組みを持っていて国家権力の独裁・暴走を制約しているという説明を受けます。
それは近代政治の流れの中からと、戦前の大日本帝国憲法下の政治≒近いところでは大政翼賛政治に対する反省を踏まえたものです。
いまさら言うまでもなく三権:立法、行政、司法の三つです。国家権力をこうして分立させて相互にけん制制約し合わせ要というものです。
国会は国会議員の中から総理大臣を選んで指名し、行政府の行うことを国政調査権によって制肘し、ことに内閣不信任決議によって、内閣に総辞職か国会解散・新たな内閣指名の選択を迫ることができる。
内閣は・・・・、と書いていくと中学学習のおさらいになってしまうので避けますが、内閣の国会解散権は国論が二分され国会の場での議論では国論を決するには困難があるので改めて国民の意向を問うことにあるのです。
内閣としては、ある議案を決して執行したいのにそれが国会の状況から議決を得るに至らない。そこで内閣の求める国民の願いに一致しているのだから選挙をすれば国民は内閣=多数党を支持してもう一度国会の多数を閉めさせるに違いない。そうなれば「どうだ。それ見たことか。」と言って法案を可決に至らせることができる・・・・というこのイメージもある幻想ですが憲法の想定するモデルに違いないのです。
間違えてはならないのは国権の最高機関は国会であり、それがそうであるのは国民の意向を直接に反映するのが国会だからだという事です。
国権の最高機関は決して内閣総理大臣でも内閣でもありません。憲法にそれは明示されています。
しかし、私は自身が中学生だった時の社会の授業を思い出すのです。
その時の先生が日本国憲法に備えられている三権分立の制度とその趣旨を説明された後の事だと思います。
私が「そういう仕組みでは国会の多数党の一党独裁ができてしまう。」と指摘して「君はいつもそうして偏った考え方をする。」と揶揄、叱責をされたのです。
衆院の多数党はその多数を利用して内閣総理大臣を指名し、(そして内閣総理大臣はその党の党首が座る)、各大臣を指名する。さらに最高裁長官を指名し裁判官を任命する。
これでどうしてお互いがけん制し合うことができるのか私にはわからなかったわけです。
裁判所が時の権力にの意向を忖度して決して自衛隊違憲、日米安全保障体制違憲の判断を出さない。(例外的に伊達判決など理性的なものがあるが伊達裁判官はその後冷遇された。最近の前川氏と同様だ) そもそも憲法判断を逃げて門前払いか、ずっと小さな問題に矮小化して政権に打撃にならないようにする。伝家の宝刀は「高度の政治的判断が必要」の一言。つまりは多数党の政治判断に異を唱えませんよという事でしかない。
こうした事態に見えるようにその後の日本の自民党(公明党)政治では三権分立は完全に絵に描いた餅になっています。
そういう事態が長く続いたものだから自民党・安倍氏には内閣による故垣界さんの意味など全く分からなくなってただの政治的手法の一つにされてしまったのです。
解散をちらつかせて議員たちを慌てさせ、事後の選挙での党公認と選挙資金をちらつかせて、自党員の党中央への忠誠を誓わせ異論を封殺する。
その時その時の政治的ムードや党の力関係などを単に政権存続のために利用するだけの解散にしてしまう。
国民の意見や希望を国会に反映させるというのはまさに全くの名目に化してしまっているのが現状です。
狙いは米国軍について現実に戦争にふみきることができる国作り、大企業がこれ以上ないくらい労働者を酷使して利潤を得やすい国作りだ。
(解散理由として森友、加計隠しもまた重要な要素だが、安倍政権を過小評価してはならないと私は思っている。)
我々は1947年5月3日からあまりにも遠く離れた地点に立っている。
- 2017/09/27(水) 00:00:45|
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