「ブログにアップさせてもらってもいいかなあ。」
と尋ねると「ええ、いいですよ。 僕の肖像にそんな特別な価値があるわけじゃないし。」と。
やはり普段から肖像権について考えることがある人なんです。

「僕も写真を撮っていまして・・・・、橋を撮るのが好きなんですが・・・・。」
「へ~、何か建造物が好きなのかな。」
「橋の形にも興味ありますが、橋が向こうとこちらの人や生活を結んでいるという、そういうことがいいなあと思っていて・・・。」

最初に「ねえ君らの様子を写真に撮らせてもらっていいかなあ。」とお願いした時に「写真を撮っているんですね。(つまり写真を撮る人なんですね。」という言い方に、あるニュアンスを感じましたが、そのニュアンスには肯定的な味がありました。それはそういう事だったのですね。
ところで手前の彼がしている水の威飛ばし方をご存知ですか?
私もよく風呂の中で子供にしましたが、水の出る方向が逆でしたね。
彼は小指の方から、私の場合は親指の方から水を噴出していました。

水をかけられている方の青年が手で水を掬って反撃に出ないというところに彼の生い立ちや人としての感性を思いました。
そしていま水をかけられていることを楽しめているということが・・・・いいなあ。
そう言えば私には大学のキャンパス外で友達と遊んだのはボーリングをしたくらいで、他にはほとんど記憶がありません。
鴨川だって集会の会場として歩いたくらいでしたしね。

大義名分がなければ遊べないというあまり友達にしたくない部類の人間だったんですね。
それで今になって「奥さん、この人の(写真がもっといいものになるために、芸術になるためにという事なんでしょうが)ためにもっと遊ばせてやったくださいね。」と大先輩に言われるくらいのつまらない人間になってしまったのは人生の失敗でしょうか。
それで写真にも遊びがないんです。
話がそれました。

取り澄ました枠から出られない人間では詰まりませんものね。
- 2017/09/07(木) 00:00:07|
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