京都府立芸術文化会館ではかなりの腕前の作家さんたちが作品を展示することが多い。
その会館で絵を見ました。
こうした絵画展で絵そのものについて踏み込んだ批判をかわしあうのをあまり見たことがなかったので、新鮮な気持ちで野次馬を決め込んでいた。そして別のフロアに行くとそこでもまた技法についてのアドバイスが交わされていました。
それで、「いい感じですね。」と声をかけさせていただいたのです。

リタイア後に絵を学び始め、ずっと描き続けて恒例となった作品展に出品されたのだそうで・・・・。

素人の手慰みではなくて、はっきりと作家性を意識された絵です。
絵を通じて何を果たさねばならないか、果たしたいかを意識された絵でした。
それでお話にもとても共鳴できて・・・・。
「いや、人物を描きたいと思っていて・・・・、それも経験を重ねた男性をね。でもその課題はまだこれからで・・・。」と。
「それは私もです。」

ほんの少し先輩になる方ですがその精神の若々しいことは羨ましい限りです。
リタイア後を主体的自覚的に生きようとする人の輝きを感じました。
こういう先輩の姿は大いなる励ましです。

昨日京都ファインダー倶楽部の写真展が終わりました。
私は「3年生」として参加しましたが、甲斐の、写真展のいろいろな姿が幾分分かってきました。
毎年のように訪れるというお客さんも幾人もいて「この会の写真展は他と違う個性があって面白い。楽しみにしている。」という声を聞きました。
打ち上げ会の時に15周年を記念するビデオを見せてもらうと、この会の文化史的な意味が見えるような気がしましたし、なるほど他の会にはない良さがある事が頷けました。
ただ弱点というか、革新されなくてはいけない面の無いとは言えないと感じはしましたが、そのことも含めてこの会の特質ではあると思いました。私がこれからもそれになじんでいけるかどうか面白い実験かな。
私の写真については、ほとんど一瞥して通り過ぎる人が多かったです。写真の伝える情報は単純だったという事と、「ああ、若い女の子の写真か。」と教養ある人の関心を刺激しなかったせいもあるのではないかと推測しています。個展の時に「こういう写真を撮っているのならばもうやめたらどうか。」と指摘された写真家は立ち止まることもされませんでした。どういう訳か私は一向にそのことが気になりませんでしたが、とてもよく見てくれて写真の理解を深めていただけた方もまたおられたからかもしれません。
会員の中には来場された方の中からわざわざ「素敵な人」を紹介してくれて「折を見て撮影しましょう。」という人がおられたのはうれしいことでした。
会員同士でお互いに冗談を言い合っているうちに4日目にはファインダー倶楽部版「しのやまきしん」になっていました。
昨年の写真を記憶してくれていて「とても印象に残っています。」とおっしゃってくれた方も一人二人ではなかったので、それもまたうれしいことでした。
ただ階下で京都『パリ・マグナム写真展」が開催されていて、多くの方が見ておられましたが、その写真との比較において考えさせられることは多々ありました。・・・・比べることからしておこがましいのではありますが・・・・私自身の写真の方向性もまた鍛えられたように思いました。
既に次回の写真展に向けて抱負を膨らませて解散しました。
来年の写真がまた期待されます。
- 2017/08/28(月) 00:00:50|
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