一つ教えてあげるとカメラは正直ですからすぐにその効果が見られます。
自分でコントロールできることが増えることはとても楽しいことです。
ただの一つでもはっきりした基準が分かれば・・・ああ、そうじゃなかった、こうすればいいのかなと意識して「困ることができ」ます。
そこがやみくも困っているのとは決定的に違う事です。
まずは「絞り」です。 「f値」は数字が小さくなると「明るくなる」という入門者を困惑させる難物です。
「分母が大きくなれば、その比で表す値は小さくなるでしょ?!」

なんてことは立ち話では難しいので、この場では「光を通す窓の大きさ(広さ)を示す値、小さいと明るく、数字が大きいほど暗くなるよ。」という程度でゴメンナサイ。
ほとんど全体が分かっていないときに部分だけをことさら正確・厳密に理解することは困難で、かえって理解を妨げます。
認識は螺旋を描いて深化するものです。
当初は、正しくはないけど、まあそんなことかなということが分かればいいのでありますよ。
交替で「被写体」になりながらの実習です。

とても熱心な「生徒さん」で、どんどん吸収します。
それにしても人を撮りたいというのがうれしいですよね。 多分世の中の写真を撮る人の相当数は人を撮っているのです。
でもそれを案外難しく感じているんですね。
そして一歩本格的に写真を撮ろうかなと思い立つと・・・殊におじさんたちは・・・・人から離れます。どうしてなんでしょうねぇ?

カメラ女子たちは人を撮りたがっているのにカメラおじさんたちは人を撮ることがとても少ない。
不思議ですね。 私は案外男女の意識のありようの違いの根本が絡んでいると思います。ただしセックスではなくてジェンダーの、ですが。

おじさんたちはカメラを巧みに使ってみせたいけど、女子たちは〇〇をきれいに撮りたいのですね、きっと。

今日の私のレンズはたまたま135ミリですから、ずいぶん下がって撮らねばなりません。
ちょっと説明するとずずずいっと遠ざかってしまいます。
せいぜい85ミリだったらよかったのに。
それにしても最近のキットレンズには絞り値が刻まれていないんですね。
ピントの合う距離表示もありません。 まして被写界深度の表示など・・・・・。

説明しにくいったらありゃしない。
操作が「直感的」でなくていちいち画面を呼び起こしてごちゃごちゃやらなくてはなりません。
私はもうすっかり時代遅れになっていました。

「人を撮るときにはおへその高さですよ。」
「こんなに低くちゃいけませんか?」
「いえ、大いに結構!」
若い人は体が動く、女子は絵を求めてカメラの位置を変えます・・・・いいですねぇ。

昨日は写真展の第一日目でした。
私は今回多くの人に案内を差し上げてはいません。むしろごく少数でした。フライヤーはあちこちに置かせていただきましたが。
それで私を訪ねてのお客様は200人を超す来場者の中でお一人でした。
その方は斎藤という画を描く方です。この方は67歳から絵を描き始められた元薬剤師の方です。薬局を訪れる病んだ方々に向けての絵だったそうです。また高齢にお母様の介護体験の中から描かれた絵もたくさんあります。
日本国内ではほとんど評価されてはおられないのだそうで、実際、私が見るところ国内のいろいろな公募展に応募されたとしてもとてもほとんど顧みられないかもしれません。
けれど海外の美術館や美術商からの引きがあり極めて高い評価を受けおられます。
私は斎藤さんの絵を初めて見た時に「これは一体なんだ?!」と思いました。その時に実に失礼なことに「あなたの絵はヘタウマ」だなんて言ってしまいました。しかし、そのクレパスで書かれた風景は実風景をきちんと踏まえ、捉えて離すことなく、それでいながら現実風景を越えて完全に心象を表現していました。抽象というのはこういう事でなくてはならないなあと実に感心させられました。そして伝統的な、あるいはアカデミックな絵画の技法には見向きもせずに独自の境地を追及されている姿には強い敬意を感じました。
『うまく描く絵はダメだ.』それが斎藤さんの口癖です。
それで素直な気持ちから「写真を撮らせください」とお願いしました。
斎藤さんの飾らない心からの笑顔がそこにはありました。それを見てこんな自分の笑顔を撮った写真は今までに一枚もないと言われ、斎藤さんは半分冗談で、最期のお別れの時の写真にしたいと言われます。
本当に過分なお言葉なんですが、私はこの絵画の本性にまっすぐに突き進んでおられる大先輩に知己を得たことを本当に幸運だと思っています。
斎藤さんは私の写真の至らない点をいろいろ指摘してくれました。
そして同時にいかに私の写真が採るに足るモノを持っているかということを丁寧に話してくれました。
私は人の作品を評価するという事はこういうことだなあと感じながら聞いていました。
なかなかこうして根拠に基づいて厳しくしかも慈愛に満ちてしかも同じく根拠に基づいて褒めてくださる方はおられません。
それも何が描けているか、いないか、そういうことを話してくれる人は決して多くはありません。
私より先輩にあたる斎藤さんの年齢に達するまでに少し間があるので、その時までには躓いてもこけても少しでも追いつくようにしたいですと申し上げると「あんたが私の先生なのに何を言うのか。」と笑っておいででした。
写真でこういうことができるということを見せてもらって、絵以外のジャンルにも大いに興味関心を持て、学べるようになったとおっしゃるんです。
こういうことをおっしゃる時点でやはりあなたが私の先導者だと心に呟きました。
昨日は他にも少数ではありましたが貴重な交流の出来た方が何人かおられました。やはりこうして自分の作品を人前に出してこそだなあと思いました。
写真をされている方もいない方も。今日はどのような方にお目にかかれるでしょうか。
- 2017/08/24(木) 00:00:52|
- 写真
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0