八月も下旬です。
「一月はいく、二月は逃げる、三月は去る・・・・。」なんて言って嘆いていたのがつい昨日のようです。
「六月は無視したままで、七月は尻ををからげて、八月は話もせずに・・・・行ってしまうのか。」
「年を取ると時間の経過が早く感じる」とよく言います。私の実感としてもそうなんですが、このことを「年を取るといろいろなことが分かってきて様々なことを楽しめるようになるので・・・。」時間の経過を早く感じるのだと、そう言う人がいました。
よく聞く『説』とは違うというか逆ですが、私はこれも一理あるかなと思います。
というか、そうでありたいという願望かな。

撮影の一日はこの人と私とではどう長短があるのでしょうか。
全物質世界には運動があるけれども、それを時間として認識・意識するのは人間しかない・・・と。
そして認識された時間は伸び縮みする?! そう言う話を聞いたことがあります。

それにしてもついこの前個展を終え、「そう遠くないときにグループ展があるなあ。」なんて暢気に構えていたのに、なんてことでしょう。今日は搬入日でした。いろいろ考えては壊し、考え直しては迷路にさまよいして今日のたどり着いた割には「大山鳴動して、振出しに戻る」でした。
そうこうしているうちに清水寺の仁王門の上でカメラを構えて、「ああこの日が来ちゃった。」とか考えながピントを合わせているんでしょうね。
やだなあ。

それでも前職と違ってこうして他でもない自分の撮った写真として、しかも「素敵な人たちと」出会って話して撮らせてもらって・・・という自分の痕跡が残るのはせめてもですね。
横浜に住む私の畏友は毎日水彩画を描き続けていますから、これまでに描いた数千の絵がどんなにか高く積まれていることでしょう。
その畏友の絵を見せてもらって・・・・とても僭越な言い方をすると・・・・もともと相当な腕前であったのですが・・・・さらにさらにうまくなっているのを見て・・・・彼を追いかけていればやがて自分の写真も多少はうまくなれるのではないかと・・・希望を捨てずに。

体にライン(これっていわゆる凹凸の事じゃないですよ)のある人はいいなあ。

祇園祭の後祭りの巡行を見終わってこんなことをしているというのも面白いなあ。
母さん、あの群衆は一体どこに行ってしまったのでしょうね。

人はそれぞれ違う世界を生きているのでしょうか。

この写真は一か月前の予約投稿ですが、写真の搬入がちょうどこの建物の反対側なのも面白い機縁ですね。
- 2017/08/22(火) 00:00:36|
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