あるプロ写真家の動画サイトに寄せられたコメントの中に「○○〇〔プロ写真家の名前〕さん、アマチュアは一般的にポートレートは撮らないものですよ。」とありました。
(その動画がポートレート撮影を主眼として様々な蘊蓄を懇切に述べているものだったのですが、それを見て、一般人には役に立ちませんよと言いたかったのでしょうが、そういう訳知り顔の突込みは余計なお世話だと私は思いますね。素直に学べることを学ばせてもらえばいいのであって、人のすることに冷水をかけて喜ぶ、人が評価されることを喜ばない、いま時の風潮は実に苦々しいなあ。)
私自身にとって大いに参考になる点もあれば、それはどうなんだろう、一般化できるのかなあという論点もあるのですが・・・。
上記のコメントを見て今更ながら「アマチュアは人物写真を撮らない」のが現実なんだなあと思いました。
〔 上記の文章には問題があって、「ポートレート」は必ずしも「人物写真」と同じではないし、コメントを寄せた方の「撮らない」は意志的に撮らないという意味ではなくて、事実の問題として「撮っていない」という事でしょうし、幾分かは「撮れないものです」というニュアンスを含んでいるのかもしれません。
私の経験上も、まあそういうことが言えるとは思います。
アマチュアの写真家はポートレートを撮らない、撮れないということについてどう考えたらいいのでしょうねぇ。
撮らなくちゃいけないということはないのですけどね。]
という事はさておいて・・・・。
「さあ、今日もよろしくね。」
「実は僕はもうすでにお腹が空いていて・・・・・・。」
前の写真の背景もレストランだし・・・・・。

「ゲイジツ欲は食欲に負けないぞ~!!」
ここはギャラリーの前なんですが、中では鉄道の写真を展示していました。
私は「異分野(?)」の写真もできるだけ避けないで見るようにしているんですが、鉄道写真にも「おっ!いいね。」と思わせてくれるものもありますが、私の好みからするとあまり興が乗りません。
他の人からすれば人物写真についてもそうなのかなぁ。

人物写真が少ないという事は、そういう趣味のばらつきの問題として了解して終ることのできない問題があるように思うのですがね。
欧米の写真家の作品には、そして日本でもあれこれのプロの写真家の作品にはふんだんに人物が写されているので、ちょっとこだわって考察してもいい問題じゃないかと思うのですがね。

「またそんなことを言っているんですかぁ。 退屈しちゃうなあ。」
「まあまあ、そう言わないで、写真を撮っているときくらい写真家もどきになってものを考えたいんだからちょっと大目に見てよ。それが楽しみなんだからさ。
ところで 『人間 いたるところ 舞台在り』だね。」
「えっ?! どういうことですか。」

「まあ、つまりさ・・・・・君が立てばすなわちその場が舞台になるという事さ・・・。」

「君は、言ってみれば触媒みたようなものという事だね。 ・・・・う~ん、触媒は化学変化を起こさないけど、君は環境によって演者になるねえ。
そうなるとこの例はふさわしくないね。
とにかく多くのクラシックなセンスやスキルを身に着けてきた君はその場に立つだけで環境を励起させるという事を言いたいんだね。」
「なんだか難しいですね。それっていいことなんですか?」
「勿論だよ。」
- 2017/08/20(日) 00:00:48|
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