この方は環境についても鋭い問題意識を持つジャズピアニストです。
そして私と違ってプロです。
ほぼ同世代です。
ある方の紹介でお会いすることができました。

多くの絵や写真が呑気にしている今日、音楽を人々の共同や問題意識の共有を目指す力にしています。
一人の人間の姿として注目したいと思いました。

ピアノの演奏は、正直にいって撮りにくいです。
ですが、この時、今までの経験があって良かったなあと思いました。
一つ一つの撮影の経験が積もり積もって、ほんのわずかではありますが新しい力になってくれています。

リハーサルと本番では演奏家の集中度や高揚度は大きく違います。
でもリハーサルの時ではあっても、私がカメラを向けている=見て聞いているということをプレッシャーにし、意識して演奏をしてほしいと思って、私も全力でファインダーをのぞきシャターを切ります。

今現在の実際は到底そういうものではないにしても、この写真を撮ろうとしている人間の前で「いい演奏をしないではいられない」と思わせるようになりたいなあと思います。
それはいいポーズやどこかで見た絵柄に添って写されようとするのではなくて、真剣で本気の演奏の姿を見てくれ、聞いてくれ、そして撮ってくれという様に。

リハーサルの時点で単におさらいをしておくというものでない気持ちに、レンズとシャッターで・・・・言い方は適切ではないけれど…追い込んでいくような迫力を持ちたいなあと。
そんな私の誇大妄想的介入がなくたって真剣に没入しているのはこの写真を見ていただければ一目瞭然だと思います。

アーティスト相互の関係からいってもこの場ではある種の格闘があるんだろうし強い共同意識があるんだろうと思います。ですから呑気なおさらいなんてありはしないのだろうと思います。
ただ私のささやかな願いとして私のカメラが介入することでその温度がさらに高くなったらいいなあと、そう思います。
それで耳元で「バシャリ、バシャリ」とシャッターボタンを押します。

今は私がそこにいても何ほどの熱も伝えないでしょうが、そうありたいというのはカメラを手にして人を撮るものとしての妄想に近い夢ですね。
会場の数百の聴衆に匹敵する目であり耳と意識されるような「写真家」というものがきっと世の中には存在するのだと思います。
- 2017/07/17(月) 00:00:35|
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