「 Earth Harmony in KYOTO 2017 」というイベントに呼んでいただいて、出演者たちのリハーサルの様子を写真に撮ることができました。
これはなかなかの感動ものでしたね。
中でもジンバブエから来ていた子供たちのダンスには、パフォーマーとともに興奮する感覚を久しぶりに味わいました。
彼らは「才能の塊」のような存在で、その本能のリズム感と身体表現力は、それを目の当たりにすると、もうただひたすら驚くしかないという感じでした。
次から次へと行われるリハーサルの中でこの人の熱唱もまた印象深いものがありました。
川口真由美さんとおっしゃいます。

ある方の紹介で、このイベントに出演するジャズピアニストさんの写真を撮るつもりで出かけたのですが。
いつもの私の思い込みの悪い癖が出て、そのうえ私の立場からすれば、本番の撮影など到底思いもよらず、リハーサル・・・元来私はこちらが好きですし・・・・に全力投球でした。

私などの世代の人間のある程度の割合の人は、「沖縄」についてはちょっと心の奥を揺さぶられる思いがあるのではないかと思います。
大学入学以前から「沖縄を返せ! 米軍基地のない沖縄を返せ!」と声を上げていた私ですから、大学入学とともにデモの隊列に加わるのは自然な流れでした。

沖縄を「返せ」とはどういうことかについてはもっと深く考えるべきではありましたが、琉球処分前後から、米軍による沖縄攻撃・占領、までの歴史を学ぶにつれて「沖縄を平和な島に! 米国の沖縄占領の終結とともに日本の真の独立を!! 日本政府と本土国民による沖縄差別に対する償いを! 」の気持ちが私の内に高まっていたのでした。
そんなこともあって・・・・・そのうえ今日の基地問題を思えば・・・・川口さんの歌には特別な気持ちが湧きました。

ですからできるだけ歌い手の気持ちを汲み取った写真にしたいという思いでファインダーの向こうを凝視ししていました。
何かを伝えようとするときにその表現の仕方には単純に一つの方法があるのではないと思います。
その伝えようとすることをテキストにすれば同じになっても、それぞれのアーティストがそれを包み込む感情や支えている知性・理性はかなり大きく異なることがありますから、おのずから表現方法が違ってきます。

そこで異なった表現に出会う事で改めてあることを感じ取りなおすということが、人にとってその思想と感情を柔軟に豊かにするうえで大切だなあと思うのです。

写真を通じては沖縄の名もその歴史も何も表現できませんが、この人が歌い手としていかに沖縄に心を寄せて歌っているかをつかみ撮れたらいいなあと。
- 2017/07/12(水) 00:00:39|
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