リタイア後に出会いを得た方々は、それまでにお付き合いのあった人たちとはずいぶん違ったジャンルを生きてきた人たちが多いのです。
今日(一か月前のことです)もまた、これまでの自分では考えられもしなかった場所と状況で写真を撮ってきました。
この方もとある大手企業の最前線で活躍をされてきた方ですが、リタイア後にパリに通って絵を描かれました。一年に一か月余り巴里に暮らして、佐伯祐三氏の描いた街を歩き絵にしてこられました。
その個展会場で勝村さんの話を聞く機会がありました。

私はこの人のこうした仕草にとても好感を抱いてお付き合いをしていただいています。
かつて仕事上の名刺をお持ちの時はまさに飛ぶ鳥を幾羽も落としてこられた人ですが、そうした業績を誇りがましく口にすることはありません。
無論、事実としてお話しされる機会はありますが、そっくりかえっててひっくりかえるようなことは微塵もないのです。
私が思うのに、それれは今と未来に大いに取り組んだこと、その結果としての「作物」があるし、これから取り組もうとする高い峰があって自ずと謙虚になっておられるからだと思います。
勝村さんから毎月「京都の鱒釣り」というデジタル通信を送ってただいて愛読しています。
そこには足で歩いた京都の町も描かれていて、私などの気づかない思わぬ京都を見せてくれます。
絵のみならず文にも巧みな人ですから、その表現の卓抜さに唸らされることも一度や二度ではありません。

街に潜む「美の化身=鱒」が時として遊泳し、ふと頭を出す・・・・という暗喩を使って、その鱒が姿を現すのを期待しながら、そぞろ街を歩く態でお話を書き綴っておられます。

この日、勝村さんのお話を聞く会には予定をはるかに上回る人たちが集まり、広いとは言えない町屋の部屋の中は文字通り立錐の余地もなく、お馴染みさんの我々4人は二階への階段に腰を下ろして耳を傾けることになりました。
もっとも私の場合は、席がないから仕方がないなあという顔を作りながら、氏の足もとに座り込んで写真を撮っているという訳です。
- 2017/06/04(日) 00:00:23|
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