御苑の桜も散り急ぎ、雨模様のやさしい風にさらに散りゆくのを急かされて、・・・・そんな日に撮影です。
普段は普通に仕事をしている人たちに「フォトマヌカン」をお願いしているので、「花が咲いた。撮りましょう。」「紅葉が進みました。撮影です。」という訳にはいきません。

でもうれしいことに、今度の個展をもう一段充実させたいなどという私のわがままに何とか日程を調整してくれる何人かの人がいます。
そして、それとともに少しずつどう撮りたいかを理解していただいた写真を、またどう撮ってほしいかを推し量ることができる程度が深まります。

基本は「僕の楽しみに力を貸してください。」なのですが、どんな写真ができるかに積極的に関わってもらえると、僕の狭い観念が少しほぐれていきます。

カメラの前に立っていただく人がいないと始まらない人物写真ですから、そこでこそ湧くイメージもあるし、撮りながら膨らむ構想もあります。
ロケハンをして一応は考えてあるつもりなんですが、大概は予想から外れます。
注文されて撮っているわけではないのでその点はお気楽なものです。
多分、だから撮影を楽しいと言っていただけるのではないかなとも思います。
お金のやり取りもありませんしね。
それで「ありがとう」「ありがとうございました。」だけで終ることができます。

私の余命の中でこうして交流できる人はもう限られていると思います。
次から次へと現れてきてくれるという訳にはいきません。
でも、それだけにしっかりとってこの人たちも喜んでもらえるものにしたいし、その中に作品としても、これはというものを残したいなと思うのです。
京都国際写真展祭でたくさんの会場を回ると余計にそう思えるのです。

トップランナーたちの問題意識や撮る行為のレベルは遥かに遠いところにありますが、・・・・それで「、えっ?!なに、これ?」なんて言うのも少なくはないのですが、彼らが現実の世界に切実に迫っていることは強く感じられるので、日本の写真家にはがんばってほしいなあという場合が少なくなくて・・・・・立っている地点は山のはるかにすそ野ではあっても山に向かっているという事だけは意識しながら撮りたいなと思います。

そんなことを言うとまた「ではなおのこと若い女の子を撮っている場合じゃないでしょ?!」と言われてしまいそうなんですが、・・・。
ここにも一つのカギが埋まっていると、私はそう踏んでいるのです。
- 2017/05/20(土) 00:00:26|
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